G1 CLIMAXというのは勿論シングルプレイヤーとしての一つの頂点を目指し、決める大会ではあるのですが、新日本の年間スケジュールの中でも随一のドル箱シリーズということもあって、リーグ戦だけでなくその他にも色々と事件が起こる場でもあります。
例えば2015年のG1優勝決定戦には天龍源一郎が来場し、兼ねてから自身の引退試合での一騎打ちを求めていたオカダ・カズチカに対して直接挑戦表明をしに来たことなんかもありますね。
しかし近年の優勝決定戦を見るとかなりの高確率、というかここ数年は恒例行事のように衝撃を起こしている男がいます。
そう、柴田勝頼である。
というわけで 優勝決定戦のリング上で柴田勝頼が行った(試合以外の)行動について振り返りたいと思います。
2012年 喧嘩、売りに来ました
個人的にはこの年から本格的に新日本を見始めたのもあって記憶に強烈に残っているのが2012年のG1優勝決定戦。
その休憩時間中にスーツ姿でビシッと決めた男、柴田がリング上に上がり一言、ケンカ 売りに来ました。
柴田は1999年に新日本でデビューした生え抜き選手でしたが、諸事情により2005年から新日本のリングを離れていました。
その柴田がリングに現れたことでともすれば「おかえり!」という歓迎ムードが生じてもおかしくない所をに機先を制する先制パンチの1ワード。
その刺激、不穏さ、きな臭さは過去を知らなかった自分も、周囲の騒ぎようざわめき様からそれを痛く感じ取った記憶があります。
その後、外敵として定期参戦を続けた柴田は徐々にプロレスに回帰し、2013年からはG1にも参戦するように。
そういうわけでその間は試合以外での行動というものはG1優勝決定戦においては行われていませんでした。
2017年 生きてます!
柴田のG1連続参戦が途切れたのは2017年、その年4月にオカダに挑戦したIWGP戦後、急性硬膜下血腫を発症し長期欠場に入ることに。
公式サイトや自身のブログを通じて無事であることは伝わってはいたものの、その病状については詳細はわからず、ファンにとってはやきもきする時間が続いていました。
そんな中、突如として両国に流れる柴田の入場曲Takeover、そしてしっかりとした足取りでリングへ上がったのは、心なしか髪も顔もさっぱりした様子の柴田勝頼その人。
リング上での柴田は「生きてます!以上!」と二言発するや後ろ受け身を取って見せ、長居することなくバックステージへと下がりました。
簡潔な言葉をうまく使うことは2012年の時に分かってはいましたが、それでも十二分に思いが伝わるのが柴田の凄みでもあるよな、と思った瞬間でした。
2018年 セコンド・柴田
そんなこんなで表舞台へちょくちょく姿を見えるようになった柴田、翌年3月にはロサンゼルスにDOJOが作られるにあたって渡米し、道場長に就任したりも。
そんな柴田の恐ろしさ、それも肉体的な恐ろしさではなく会場の空気をつかむ意味での恐ろしさを思い出させられたのは翌年のG1優勝決定戦。
この年のG1はまさに飯伏&ケニー、ゴールデン☆ラヴァーズのためにあつらわれたといっても過言ではない空気もあり、前日に数年ぶりのGL対決を制した飯伏が圧倒的支持を受けてリングに上がるかと思われていたわけです。
それに対する棚橋弘至の傍らにはそう柴田勝頼の姿が、何を隠そう新日本生え抜きの同期の中であり、”元”新闘魂三銃士でもあった二人でもあります。
その構図ができた瞬間にこの試合は「新日本生え抜き」対「外様」という構造になってしまい、飯伏は突如として前日までの圧倒的アドバンテージを失った、というのは後日飯伏自身が行った解釈でもあります。
柴田勝頼が現れただけで趨勢をも変える、それだけに存在感と”思い出”が彼にあったわけです。
2019年 ソウルメイトとの決別
そして記憶に新しい2019年、柴田はLA DOJOで鍛え上げたヤングライオン2人を送り込むと同時に、同級生・後藤洋央紀を鍛えなおし、WWE/NXTを退団したばかりのソウルメイト・KENTAもG1の舞台に導きました。
そういう意味では既に裏方的な役割が増えていくのかなぁ、とかと思っていたんですがまさかまさか。
優勝決定戦ではKENTAがパートナー・石井を裏切ってBULLET CLUBへ電撃加入、その横暴を見ていたのかKENTAにマイクをさせる暇すら与えずにリング上へダッシュ!
リングに上がるだけでなく追走式のコーナーでのビッグブーツ、エルボー連打、そして対角線を使う低空ドロップキックのフルコース。
もうこれ復帰なんじゃないか?!といきり立った人も多いでしょうが、その後は多勢に無勢でボコられてバックステージに帰り、その後5つ星評価がガバガバな消息筋のDさんによると復帰の予定は現状ない、とか ソンナー
まぁ攻撃こそ出来たとしても、柴田の魅力はあの細身ながら一切引かずに受けまくるスタイル、そこに不安が残る限り、”あの”柴田勝頼が戻ってこれるようになるまでは我慢、というか待ちでしょうね。
所感雑感
というわけでG1にエントリーしてる時よりもしてないときの方がなんか凄い話題をまき散らしてないか?という気もする柴田についてまとめでした。
いや2013年のG1最終戦の棚橋戦とか凄い良かった記憶もあったりするんですけど、新日本においてはこういう試合以外での話題が少ないのもあって目立つという部分はあるのかも。
どれくらい話題だったかというと、ツイート集計を始めた2018年以降を見るとG1優勝に次ぐツイート数を柴田の登場シーンでたたき出しているんですよね(参照1、2)。
まぁ上述のとおり復帰を急くことはできない状況ではあるんですが、来年のG1も何かやらかすんではないかとちょっと期待している自分がいます。
きょうはこれまで、それでは