プロレス統計

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各種数値で知るKENTA、もしくはヒデオ・イタミという男

俄かにTLをざわつかせた6.9大阪城ホールの狂騒も次第に落ち着きを見せた今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私自身もとてもじゃないが心穏やかでなかったのは確かですが、多少は平静を取り戻しつつある昨今です。
というわけで、もうすぐKIZUNAロードシリーズも始まるということで、今日からは少しづつリングへ目を戻していこうかと思います。

で、最初にやっぱりやっておかねば、と頭にあったのが大阪城ホール大会途中、柴田勝頼に呼び出される形でやってきたKENTA
時期も次期、経緯も経緯だっただけにフリーになったとは聞いていましたがまさか新日本に来るとは…と俄かには信じがたかったのを今でも思い出します。
とはいえ、最近プロレスファンになった方にとっては「KENTA?ヒデオ・イタミ?どなた?」ってなものでしょうから、彼についての各種数値を紹介しつつ、改めて知っていきたいと思います。

 

体格

身長 174cm
体重 82.5kg

Wikipedia上での体格の数値はこんな感じ(といってもジョン・モクスリーの時見たく新日本の公式プロフィールとずれてる可能性はありますが)
身長も体重もレスラーとしては小型とされるの部類であり、新日本やかつて所属していたプロレスリングノアではジュニアヘビー級(100㎏以下)、以前所属していたWWEではクルーザー級(205ポンド=約92㎏以下)というくくりになります。
とはいえプロレスリングノアではそのセンスと人気、体格に似合わない打撃の強力さなどもあって終盤はヘビー級に交じって活躍し、最高王座となるGHCヘビー級も獲得しています。
その後のWWE(NXTや205LIVEなど)では上述のとおりクルーザー級としての活動が多かったようですが、先日の登場時のマイクではノア時代と同じヘビー級での活動を望んでいるとのこと。

ちなみに体重でいうと同じく軽量ながら新日本のIWGPヘビーにも挑戦したことのあるザック・セイバーJrが85㎏なのでそれよりも軽いようですね(まぁザックは身長183㎝もあるってのもあるんだろうけど)。

生年月日

1981年3月12日(38歳)

KENTAは1981年生まれの38歳、生まれ年的には内藤さんや飯伏らのちょうど一つ上になりますね。

デビュー

2000年5月24日デビュー キャリア19年

KENTAは2000年に全日本プロレスでデビュー、当時は本名のままの小林健太でした。
この後1か月も経たないうちに当時の全日本プロレス社長だった三沢さんが全日本を退団し、新たにプロレスリングノアを設立、それに伴い若手だった小林健太もノアへと移籍することになります。

キャリア・タイトル略歴

sports.yahoo.co.jp

 

ノアに移籍後、KENTAと改名した小林健太が頭角を現したのはジュニアタッグ部門でのこと。
自身のデビュー戦の相手でもあり、当時すでにGHCジュニアヘビー級戴冠も経験していた丸藤正道とタッグを組み、初代GHCジュニアタッグ獲得などの実績を残す。
その後、GHCジュニアヘビー級を戴冠するなどシングルプレイヤーとして活躍しつつ、丸藤の後を追うように2006年ごろから対ヘビーの試合も行うように。
本格的にヘビー級転向を果たしたのは2012年、年末の(今は亡き)GLOBAL LEAGUEを優勝すると翌年初めに初めてGHCヘビー級を獲得し、王者として活躍します。

しかし2014年4月にノアを退団し、その年の7月にWWE/NXTへ移籍することに。
話によると元々WWEへの志向も強かったらしいんですが、当時としては珍しい日本人トップレスラーのWWE挑戦になりました。
ちなみにほぼ同時期に新日本プロレスで活躍していたプリンス・デヴィット(現フィン・ベイラー)もNXTへ移籍しています。
しかしWWEでの活動はなかなかに難しく、肩の負傷なんかもありNXTから205LIVEへ異動、CMパンクの退団により”本家”Go 2 Sleepを解禁も相手を負傷させてしまい再びの禁止技に。

そんな中久しぶりに衆目を集めたのが2018年9月1日、因縁浅からぬ丸藤の20周年記念興行への参戦が発表されました。
当時、というか現在でもWWEに所属した選手が他団体へ出場するケースは極めて稀であり、その試合後の展開が注目されていました。
そんな折、2019年初めにWWEからリリースされたとの報を受け、おおよそのファンはそのままプロレスリングノアへの復帰をするのだろう、と思っていたところに6.9大阪における登場があり、現在に至ります。

柴田の”ソウルメイト”としてのKENTA

(新日本プロレス公式サイトより引用)

この柴田とKENTAの最初のコンタクトは2005年のこと。
当時の柴田は新日本プロレスを退団し、ビッグマウスラウドという団体に所属していました。
その際、ビッグマッチでノア所属だった秋山準と対戦するなどノアとの交流が
柴田はビッ幸いしたか、同年11月5日にノアに初参戦、この際タッグを組んだのがKENTAでした。
KENTAとのタッグはこの初参戦となったGHCタッグ選手権試合、2戦目の三沢・潮崎組との対戦を含めて3度のみとなっていますが、ともに向こう気の強い者同士、キックを主体にした者同士としてがっちりかみ合ったタッグを見せ、当時のファンに強い印象を残したのは確かでしょう。

ちなみにKENTAの新日本参戦こそなかったものの、柴田はその後、KENTAの盟友という形で2012年の新日本復帰以降何度かノアのリングに参戦しています。

 

所感雑感

というわけでKENTAことヒデオ・イタミ、もしくはヒデオ・イタミことKENTA選手についてでした、どっちの方が通りがいいんですかね?
それはさておき、いろいろと波紋を呼んだ参戦表明だったのは確かなようですね。
とはいえ実は自分もKENTAのノア退団以前は「G1参戦するんじゃ?」と予想もとい期待していたこともあるのである意味待望の参戦でもあります。
しかしながら、そこからはやくも5年の月日が経っているのも、その5年間で思うような結果を残せていなかったのも事実。
見る側としては贅沢な話ですが、「新日本におけるKENTA」がどんなものなのかしっかり見定めたいと思います。

きょうはこれまで、それでは