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新日本プロレスに集う”龍”の遺伝子

WTLのシリーズ詳細も決まってあとは開幕を待つばかりな昨今皆様いかがお過ごしですかね。
こういうシリーズの合間というのは毎度のことながら何とも落ち着かない日々を過ごすことになるのですが、そういう時こそ調べものをするにはいいタイミング。
ということで今回はタイトルにある通り、現在新日本プロレスに集まりつつある”龍”の遺伝子を持つ選手たちについてまとめたいと思います。

 

ウルティモ・ドラゴンと闘龍門

プロレス界には”龍”というキーワードを持つ選手は何人かいて、”マッチョ・ドラゴン”こと藤波辰爾、”風雲昇り龍”こと天龍源一郎の他にもう一人、”究極龍”ウルティモ・ドラゴンがいます。
ウルティモドラゴンというと最近ファンになった人には馴染みのない選手かもしれませんがかつては新日本プロレスの道場に山本小鉄の内弟子として通っていたこともある人で、
身長ゆえに新日本でデビューすることはなかったもののその後メキシコにわたってスターになった、和製スペル・エストレージャともいえる選手です。

その後、日本でもIWGPジュニアヘビーを獲得するなど活躍もしているのですが、この人を日本で有名にしている所以はメキシコに設立した日本人ルチャドール養成学校・闘龍門の存在でしょう。
それまで日本国内でプロレスと言えば各団体の道場に入ることでしかデビューできない世界、しかも入門においては厳しい体格制限もあった時代も長かったですが
それを取っ払ってプロレスラーとして鍛え、実際にメキシコのプロライセンス取得まで面倒を見るというある意味画期的なシステム。
いまだとW-1のやっているプロレス学院なんかがそれに近いんでしょうけど、その先駆けともいえる制度ですね。

闘龍門の歴史

まず初めに簡単に1999年の設立から2004年の分裂までの簡単な歴史を紹介。

1997年 ウルティモドラゴンによってる日本人ルチャドール養成学校としてメキシコに設立される
1999年 それまで日本への逆上陸にはみちのくプロレスへの参戦が主だったが、日本支部として闘龍門JAPANを設立し、卒業生の受け皿とした
2000年 団体内団体として闘龍門2000プロジェクトを始動し、よりメキシコ流関節技・ジャベに着目したスタイルを目指しつつ、闘龍門JAPANと抗争などする(2003年会さん)
2002年 同じく団体内団体として闘龍門Xを始動
2004年 闘龍門JAPANがメキシコ闘龍門(闘龍門MEXICO)から独立し、DRAGON GATEと改称する

この2004年の闘龍門JAPANの独立により、闘龍門の派閥は主に3つにわかれました。
一つは本家メキシコに居を構えていた本家・闘龍門(闘龍門MEXICO)
一つは日本支部から独立した元闘龍門JAPAN、DRAGON GATE
一つは上二つ意外の選手らが集まったグループでDragondoorプロレスリングエルドラドなどを経てフリーもしくは引退を決断していくグループ

卒業生たち

いずれにしても1999年の設立から2015年の活動停止まで、総勢71人の選手をデビューさせた闘龍門ですが、その卒業生の内3人が今現在新日本で活躍をしています。
一人は前IWGPヘビー級王者であるオカダ・カズチカ
一人は新・BONE SOLDIERとして登場した石森太二
一人はLIJ6人目のパレハとして登場した鷹木信悟
3人ともが実力者、結果的にドームではそれぞれスペシャルシングルマッチやタイトルマッチが組まれているあたり来年以降も要注目な3人でしょう。

ですがこの3人、同じ”闘龍門”の系譜に属していながらこれまで全くと言っていいほど接点はありませんでした。
というのもこの3選手、上記の3つのグループそれぞれに属していたのです。
それも含めて3人のデビュー付近の略歴を紹介。

 

オカダー闘龍門MEXICO

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(新日本プロレス公式サイトより引用)

15歳(2002年?)で闘龍門13期生として入門。
2004年8月29日(DRAGON GATE発足後)メキシコでデビュー、以降闘龍門MEXICOで活動を行う。
その後2007年に新日本プレデビュー、翌年正式デビューを果たして新日本所属となり現在に至る。

鷹木ーDRAGON GATE

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(新日本プロレス公式サイトより引用)

21歳時、2003年に闘龍門に入門(当時は闘龍門JAPANと思われる)。
翌2004年10月にDRAGON GATE博多大会でデビュー、同団体で初めての生え抜き選手となりデビュー2年目から最高王座のドリームゲートに挑戦など活躍。
2018年に同団体を退団するまでトップ選手として活躍し、その後新日本へ参戦を果たす。

www.pwanalysis.com

石森ーDragondoor

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(新日本プロレス公式サイトより引用)

闘龍門9期生としてメキシコへ渡り、2002年にデビュー(19歳)。
その後は闘龍門MEXICOを中心に活躍し、日本では闘龍門Xで活躍する。
2004年のDRAGON GATE旗揚げの際には合流せずに闘龍門MEXICOに残ることを選択するが他団体へ参戦も行う。
その後旗揚げされた闘龍門系団体Dragondoorやエルドラドなどに参戦するも、その後フリーを経て2006年ごろからプロレスリング・ノアへ。
2018年にノアを退団し、新日本に参戦を開始する。

www.pwanalysis.com

というわけでこの3人、2004年の分裂でそれぞれ別の道をたどっていたんですよね。
まぁこの中でいうと鷹木はメキシコへはわたっていないらしく、闘龍門卒業生には含まれていないようですが、入門自体は闘龍門の時期に、ということのようです。

おまけ:ミラノ先生ー闘龍門2000

ちなみにおまけとして、現在新日本プロレスの中継のゲスト解説として活躍中のミラノ先生も闘龍門出身(6期生)。
上述した闘龍門2000プロジェクトに参加しており、それまでのド派手な飛び技主体ではなくジャベを主体にしたスタイルを日本に輸入したその人でもあります。
闘龍門2000の解散及びDRAGON GATE旗揚げの際にはそれには参加せずフリーとして各団体を渡り歩いたよう。

 

所感雑感

というわけで闘龍門出身者についてまとめでした。
いや実際同じ「闘龍門出身」とはいえその歴史たるや中々のカオスの極みで調べるのに難儀しました。
とはいえWiki斜め読みなのでもっと詳しい、当時のことを知ってる人がいればぜひ教えてください。
とはいえ、オカダさんはミラノ先生はさておき今年に入って石森に鷹木と闘龍門関係者が新日本に参戦してるっていうのはなかなか興味深いことですよね。
こういうことに気づいたときに「それじゃあオカダ、石森、鷹木、さらには参謀にミラノ先生を加えて闘龍門”NEW”JAPANの結成じゃあ!」と思いついたわけですけど、
うーん、実現するにしても道のりは遠そうだなぁ。

きょうはこれまで、それでは

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