プロレス統計

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各種数値で機運を高めるオカダ対飯伏

さて先日の(対戦カード面で)激動の両国国技館大会の結果を経て、例年のごとく1.4東京ドーム大会の”第1弾”対戦カードが発表されましたね。
先の大会のエンディングを見てわかるように、1.4東京ドーム大会のメインイベント(仮)はIWGPヘビー級選手権試合、オカダ・カズチカ対飯伏幸太に決定しました。

記者会見で早くも舌戦が始まりつつある両者ですけど次期シリーズの参戦は限定的だったりして前哨戦でじっくりと、というよりは本番一発でどういう試合をするのか?ということに注力するんですかね。
まぁ何を隠そうこの両者、過去に数度か対戦こそあれどその前哨戦はそれこそ数えるほどしかやっていない、というか前哨戦らしい前哨戦は今年のG1横浜ぐらいではなかろうか(The ELITE時代にケニーがらみで対戦は多々あれど)
というわけでそんな両者の過去のシングル及び各種数値について振り返りです。

 

生年月日

オカダ 1987年11月8日 32歳
飯伏  1982年5月21日 37歳

まず初めに生年月日及び年齢ですが、オカダは次の11月8日で満32歳になり、飯伏は現在37歳の5歳差。
有名な話ではあるんですが、飯伏はオカダの先輩にあたる内藤さんと同世代ということもあってプロレス的には一世代違う感じですかね。
とはいえ、そういう情報を知らずにリング上を見てみると同い年に見えなくもないんだから飯伏が童顔というかなんというか。

デビュー日・キャリア

オカダ 2004年8月29日 16歳デビュー
飯伏  2004年7月1日 22歳デビュー

そんな両者は実は同年デビュー、わずか2ヶ月の差で飯伏が先輩なのでほぼ同期と言っても過言ではない時差ですね。
この事実を踏まえて2004年は豊作の年(ほかに潮崎豪や諏訪魔、中嶋勝彦などを輩出)なんて言う記事もありましたけど。
オカダさんはここ最近「同世代で盛り上げたい」というようなことを言ってましたけど、デビュー的な意味では遂に同世代でドームのメインをつかんだといえなくもない?
しかもオカダはメキシコ闘龍門、飯伏はDDTとどちらも非新日本出身者なわけでこの両者でメインを取るというのは・・・と言いつつ2017年のメインのオカダ対ケニーも非新日本デビュー同士の一戦でしたわね。

過去対戦

2013.8.18 ドラマティック・ドリーム・マッチ

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”ドラマティック・ドリーム・マッチ”と銘打たれた初対戦(2013.8.18)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

この両者が初めて遭遇したのは2013年のこと。
かたやDDT所属のままIWGPジュニア王者にもなった”インディの至宝”とも言われた飯伏、
かたや前年に凱旋帰国するやIWGPヘビー、G1を獲得し一気に新日本プロレスのトップレスラー入りを果たしたオカダ。
どちらもが、ある意味でそれまで続いたプロレス暗黒期の終わりを告げる、新時代の象徴ともいえる両者、そんな二人の試合だからこそ開催したDDT側もこの試合のサブタイトルを「ドラマティック・ドリーム・マッチ」と題した部分はあるでしょう。
個人的にはオカダの入場時に降り注ぐ”金の雨”に対抗するように、飯伏の入場には”夢の雨”と称して宝くじを降らしたなんて言う演出が記憶に残ってますね。
今から思えばフィジカル的には絶頂期にあったオカダとまだまだジュニアヘビー然とした細身な印象のある飯伏という感じも見える二人で、あえてその差を見せつける、そして確認するような試合だったとも。

ちなみに当時のオカダは25歳、飯伏は31歳でありました。

2014.3.6 リングを超える”金”と”夢”

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新日本へ逆輸入されたドリームマッチ(2014.3.6)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

そんなドリームマッチをDDTがやっておいて新日本がやらないわけもなく、翌2014年の新日本プロレス旗揚げ記念日、久々の開催となった大田区総合体育館のメインイベントにこの両者の再戦が組まれることに。
オカダはこの年の1.4で内藤を相手にIWGPヘビーを防衛、飯伏も同日プリンス・デヴィットからIWGPジュニアヘビーを奪取し、IWGP王者対決として行われることに。
場所とシチュエーションが変わってしまえば行われる試合もまた変わるわけで、前回の対戦がどちらかと言えば「メジャーvsインディ」な様相が強かったのに対して、共にIWGP王者というのもあって「ヘビー対ジュニア」という印象の方が強かったか。
実際飯伏のホームたるDDTからオカダのホームともいえる新日本へ舞台が移ってもやはり会場の空気が「飯伏ガンバレ!」という空気になるのはやはり天性のベビーフェイスなんだなぁと感じるところでもあり。
それに対して完膚なきまでに叩き潰した感があるのがオカダ、ヤングライオン時の得意技だったジャーマンスープレックスを解禁し、そこからのレインメーカーという必殺コンボを繰り出したのは飯伏の実力を認めた上での所業だと思いましたね当時。

2019.8.10 長い長い回り道の末

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初対決から実に6年越しの初勝利(2019.8.10)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

DDT、新日本、そして日本プロレス界の未来として注目を集めた両者の一戦が立て続けに行われた2013年と2014年、そこから両者の再戦が行われるまでに実に丸5年の月日が経過しました。
正直に言えば長い、長すぎるほどに長い期間、さらに正直に言えばオカダが一時を除いて新日本の中心にい続けたのに対して飯伏がそこから離れている期間が長かった、あるいは長すぎたとも思うんですよね。
ある時はアメリカマットへの挑戦、ある時はマスクマンとして、またある時は旧友のパートナーの座に収まって。
無論「一番の近道は遠回りだった」という言葉もあるので結論は急げませんが、少なくともこの両者のIWGPこの舞台での再戦(そしてそれに続く東京ドームメインでの対戦)ももう2,3年早く実現してもおかしくはなかった、と。
無論オカダも回り道をしていた時期もあったんですけど、その間もベルトに絡みそうな一をキープし、実際ベルトを手放していた期間はわずか1年未満だったわけで。
そういう意味で新日本においては「最短距離、最適ルートを通り続けてきたオカダ」と「遠回りをし続けて、それでもたどり着いた、導かれた飯伏」というみかたもできるわけです。

そうしてたどり着いた飯伏の対オカダの初勝利。
この当時の飯伏の年齢は37歳、そしてオカダの年齢は31歳。
飯伏が初勝利に至るまでに、オカダの年齢は初対決時の飯伏の年齢に追いついてしまっていたわけです。

 

所感雑感

というわけでオカダと飯伏について振り返りでした。
この世界の物事には何事にも鮮度というものがあり、プロレスの対戦においても「あと何年早かったら…」と思う場合も時折あるわけです(もちろん逆のパターンもありますけど)
鮮度の良しあしがすべてではないとは理解していますけど、こうして実現に至ったら至ったでもう少し早く実現できなかったのかな・・・と思わざるをえなかったりもします。
勿論、遅すぎたかどうかは1.4になるまでわからず、我々にできるのはあくまで機運を高めておくことだけなのです。

きょうはこれまで、それでは