つい先日の1月6日、”世界の”獣神サンダー・ライガー選手が現役を退きました。
私がプロレスを見始めたのが2011年からなのでその活動の3分の1も見れていないわけですけど、ファンや選手の口々に語られる言葉から、そして見送る選手たちの様子からもその偉大さというのは伺い知れるわけです。
で、そういう事情もあって我が物顔で「獣神サンダー・ライガーとは!」なんてふりかえれないなぁと思っていたわけですけど、ふとその引退セレモニーを見て、率先して自撮りによる記念写真や胴上げを発案するオカダさん見るとオカダさんにとっても重要な人物なんだよなぁと改めて思ったわけです。
というわけで、今回はオカダ・カズチカと獣神サンダー・ライガーの関係性を振り返りつつ、引退へのお祝いにしたいと思います。
岡田かずちかを新日本に導いたライガー
この両者の最初の接点となったのは2007年のカナダのこと。
UWAハードコアと闘龍門JAPANの対抗戦がカナダで行われたわけですが、その時の対戦カードにライガー&プーマ組対ウルティモドラゴン&岡田和親組というものが。
ライガーとウルティモドラゴンは言わずと知れたジュニアヘビーの雄同士、ライバルでもあったわけですけど、その関係もあってウルティモが開催していたプロレス学校兼団体である闘龍門にてデビューしていた岡田和親と対戦があったわけです。
その試合詳細についてはいまいちわからないのでどなたか詳しい人がいれば教えてください。
で、この両者は翌々月の7月22日、今度は日本の後楽園ホールで行われたウルティモドラゴンデビュー20周年記念大会においても対戦がありました。
対戦と言っても岡田は闘龍門の先輩であるミラノコレクションa.t.とライガーとトリオを組み、大原はじめ・TAJIRI・折原昌夫トリオと対戦しています。
この試合後、オカダは闘龍門卒業を宣言し、新日本への再入団をすることになります。
そういう意味でライガーの存在がなければいまの「オカダ・カズチカ」の存在はなかったのかなぁとおもったりして、そういう意味でオカダにとってライガーは恩人の一人なんですよね。
ライガーも初めはメキシコでデビューし、山本小鉄さんのおかげで新日本への入団ができたという話もあるので、自分がしてもらったことを次世代にも引き継いでくれた、とも考えられます。
ライガー・オカダ、最後の対戦
その後時は流れに流れた2019年12月21日、ライガー引退ロードも最終盤に差し掛かったこの時に、オカダとライガーのマッチアップがようやく訪れたわけです。
オカダさんにとってはこの試合が1.4での飯伏とのタイトルマッチに向けて最後の前哨戦でもあったんですけど、それを度外視したように最後にライガーとオカダの一騎打ちになったのは最後の恩返しだったのかなぁと。
ぜいたくを言えばオカダ対ライガーのシングルマッチで見たかったですけど、それでも「オカダ対ライガー」と聞いてみたかった攻防を詰め込んであるようにも見えたのは、この最後のマッチアップがその代わりだったのかなぁと。
そして引退
ライガーさんお疲れ様でした! pic.twitter.com/fIwzvftUjd
— オカダ・カズチカ (@rainmakerXokada) 2020年1月6日
そして引退セレモニーとなった1.6、率先して自撮りでの記念撮影をしに行ったり胴上げを扇動したり、ポジティブに、明るい引退セレモニーにしようとしていた感もあったオカダさん。
明るく楽しく、そして激しいのが獣神サンダーライガー、それを象徴するかのようなセレモニーでしたね。
「ライガーの意思を継承する」っていうのはあのリング上に限らず影響を受けた全レスラーがどこかで掲げるテーマだとは思いますが、少なからずここにも一人”ライガーイズム”を継承するレスラーがいるのは確かです。
所感雑感
というわけでオカダさんとの関係を主軸?にライガーさんについて振り返りました、実際ライガーさんについて詳しいとはとてもじゃないけど言えないのでこうしないと何となく語れないのだ。
勿論、その功績はそれこそ「近代プロレス史」みたいな本を書くなら1節・1章占めるクラスなのはよくわかっているんですが、一オカダファンとしては「オカダ・カズチカを新日本に導いてくれた人」でもあるというのが大きいんです。
というわけで「オカダさんを新日本へ導いてくれてありがとうございました」という言葉で引退のお祝いとさせてもらいたいと思います。
きょうはこれまで、それでは