さてGWも最終日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
自分は基本的に出不精マンなので家でのんびりしつつ珈琲屋で積んでた小説消化したりしました、有意義!誰がなんと言おうと有意義!
さて先日開催され、大盛況の内に幕を閉じたレスリングどんたく、その中でいくつかあったサプライズについては各所で色々語られ、当ブログでも後追いで記事を書いていく予定ですが今日はこちら
Bone Soldier revealed as... TAIJI ISHIMORI! #NJPWWorld Watch now▶︎https://t.co/Tj7UBJ4PjP #njDONTAKU #NJPW @taiji_ishimori pic.twitter.com/pWfTAzNI17
— njpwworld (@njpwworld) 2018年5月4日
BULLET CLUB創設メンバーでもあるタマの紹介で正式にBULLET CLUBに加入し、”二代目BONE SOLDIER”を襲名した石森太二!
ちなみにタマちゃんのマイクで「ヨンダイメェ・・・(四代目)」っていってる気がしますけど何かの良い間違いか聞き間違いですよね、たぶん。
それはともかく、次期シリーズであるBOSJへの参戦も表明しているだけにこれから1ヶ月弱最注目選手だと思うので、わかる限りで石森選手の色んな数値を振り返ってみたいと思います。
生年月日
1983年2月10日生まれ
まず初めに生年月日ですが1983年生まれの今年35歳。
顔のつくりが童顔、というよりは生気に溢れている顔なおかげか実年齢よりも大分若々しく見えますよね。
動きに関しても鍛え上げた肉体もあって年齢を全く感じさせない印象、といってもそういう年でもないんですけど。
同年齢のレスラーを調べてみると1983年生まれは新日本ではKUSHIDAやBUSHIにデスペラードと今ジュニアの最前線で戦っている面々ですね。
KUSHIDAと並べるとたしかにこの二人が同い年と言われれば納得(実年齢に見えるかというと・・・)
ちなみに年度的に言うと内藤さんとも同学年ですね。
デビュー日
2002年5月11日デビュー
2002年デビューで今年、ちょうどBOSJ前にキャリア16年に突入なのでもう円熟期って感じですかね。
デビュー当時は19歳と今の傾向から考えると結構若年デビューだったのもあって、年齢の割りにかなりキャリアを積んでいる感じ。
ちなみにここで2002年デビューの選手を検索して探そうと思ったんですけど案外そういうデータベースってないんですよね・・・、Wikipediaにも1990年代までのはあっても2000年代以降はなかったり、滅茶苦茶増えたから誰も編集したがらないんだろうか・・・
ということで以前、各団体の年齢・キャリア分布を調べるべく手動で集計したエクセルファイルを見てみると2002年デビューは
新日本:矢野、田口、タイチ
DDT系:男色ディーノ、木高イサミ
みちのく:Ken45°、卍丸、南野タケシ、のはしたろう
といった具合、特にみちのくプロレスの4人については同じ登龍門でデビューした同門なんですよね。
ちなみに石森と同期の登龍門9期生には後のバラモン兄弟がいて、デビュー直後にセーラーボーイズなるアイドルユニットを組んでたっていうのは界隈で有名な話、かもしれない。
さらにちなみに石森の3期上の先輩(6期生)には現在新日本プロレスワールドでの解説でお馴染みミラノコレクションA.T.が、4期下の後輩(13期生)にはオカダ・カズチカがいたりしますね。
身長体重
身長 163cm
体重 75kg
基本的に小型化が進む日本プロレス界とはいえその中でもかなり小さい部類に入るんではって感じですかね。
ただし石森の場合はその体格に限界まで筋肉をつけ、鍛え上げることで逆に回転数の早い、すばやい動きを可能にしている面はあると思いますね。
獲得タイトル数
UWA世界ウェルター、AAAタッグ、ImpactXdivision、GHCジュニア(3回)、GHCジュニアタッグ(6回)、G+杯ジュニアタッグリーグ(4回)
計6タイトル、16回
タイトル獲得回数としては2006年以降主戦場としていたノアでのタイトルが多く、しかも各タイトルを複数回獲得している辺り中心選手だったことが窺えますね。
ちなみにUWAは登龍門時代、デビュー1年ちょうどでの戴冠ですから恐ろしいなぁ・・・
ちなみにXdivisionは今年初めまでは保持していたものの1月にマット・サイダルに奪われています、なぞの因縁を感じる・・・
参戦団体、総試合数(2017年)
ノア、Impact、AAA、KAIENTAI DOJO 4団体、129戦
参戦数としてはノア所属なだけにノアがほとんどですが、その試合の間を縫って提携をしていたImapactへの参戦やメキシコのAAA、K-DOJOへの参戦をしたりしていますね。
ちなみに今年はImapactに加えて先日PWGにも参戦するなどアメリカのファンとかにも露出を増やしてきている感じ。
今後もImpactに参戦するのかはまだわからないですが(新日本とImpactが仲良くなろうとしてるなんて言う話もあるし)、所属したBULLET CLUBがアメリカROHを主戦場?にしているだけにそちらへの参戦はあるでしょうねぇ。
過去参戦歴
新日本への参戦数 71試合
ボンソルの予告VTRで「BONE SOLDIER WILL RETURN」といっていたように中身の石森も新日本への参戦歴は実は結構あります。
記憶に新しいのは2016年のスーパージュニアタッグトーナメント、ACHとの息の合ったタッグワークで決勝まで進出するも敗れたってやつですね(試合映像)。
またその年の夏に行われたSUPER J-CUPにも参戦し、1回戦でKUSHIDAと対戦するも惜しくも敗れています。
ある意味でここでの好感触がその後のジュニアタッグ参戦、めぐり巡って今回のボンソル化にも繋がったのかなぁ。
それ以前にもLIONS' GATEに参戦なんかもしてますね。
2016年以前は新日本とノアの交流があったこともあってちょくちょく参戦があったんですけど、ノアに正式所属する以前の2004年から2005年にかけても定期的に参戦していて、タイガーマスクと組んで邪道外道のIWGPジュニアタッグに挑戦したりもしていました。
そんなこんなで実は昔から縁があったりするみたいですね。
所感雑感
というわけで石森選手の色んな数字でした。
実を言うと、あんまり現地観戦をしない自分が2度だけノアを見に行ったことがあったんですけど、その内1回が2015年末の大田区総合体育館大会で、そこで石森選手を見たんですよね。
当時は、言ってみれば鈴木軍占領下、その中で憎たらしいヒール王者として君臨していたタイチ相手に感情を爆発させるような試合をしてベルトを奪還していて「石森良い選手やなぁ、BOSJとかに来んものか」と思った記憶があるんですよね。
まぁそれが巡り巡ってこういう形で実現するとは・・・ちなみにそれまでパンタロン姿だった石森選手がその比からハーフパンツスタイルになったんですけどそれがまた似合ってたんだな。
いずれにしろ、実力は折り紙に熨斗までつけられるレベルの選手なのでBOSJが楽しみですね。
きょうはこれまで、それでは
おまけ
— BONE SOLDIER (@herocaptainnjpw) 2018年5月4日
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