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今からでも遅くない!”ザ・ワールド”で振り返るヨシタツ

さて少し前の話になってしまいますけど、全日本や新日本を含む数多くの団体が参加を表明したジャイアント馬場さんの追善興行のメインイベントのカードが発表されました。

現・全日本のエースである宮原と、全日本と友好関係にある大日本の大黒柱でありチャンピオンカーニバル優勝経験もある関本が、団体として因縁浅からぬ新日本の現・IWGPヘビー級王者、棚橋の対角に立つ豪華なカード。
まぁ実際宮原も関本もこの棚橋との対戦を熱望していただけに、まさに馬場さんの追善興行にふさわしいカード、なのですが話題というか注目を集めたのはもう一人の登場人物であるヨシタツ。
まぁ一見するとミスマッチな人選にも見えるんですけど、その実宮原の現在のタッグパートナーであると同時にかつては棚橋と”ザ・ワールド”というタッグを組んでいた時期もある選手であり、
ヨシタツを中心にしてみると「元パートナーと現パートナーの争い」というようにも見えるという。

というわけで今回はそんな、まさかの全日本のリング上での再結成となった棚橋&ヨシタツ、”ザ・ワールド”の波乱万丈な活躍(?)について振り返りです。

 

第1章 ヨシタツ、古巣へ復帰する

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新日本プロレス公式サイトより引用

まず簡単な説明ですがこのヨシタツ選手は元々新日本で山本尚史の名前でデビューした選手でしたが、その後若手の域を出ない内に新日本を飛び出てアメリカ・WWEへと挑戦し、見事に契約を果たしました。
その後2008年から2014年にかけてWWE唯一の日本人所属選手、ヨシタツとして活躍しますが、2014年6月に解雇されフリー選手に。
そして、アメリカでも4団体の王者になるなどして活躍していたのですが、そんなヨシタツが新日本のリング上に現れたのが2014年の10月の両国大会。
当時王者だったAJスタイルズと棚橋弘至の一戦においてAJのセコンドについていたジェフ・ジャレットがリング上へ介入しようとするや颯爽とリングインし、得意のミドルキックで追い払います。

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何を隠そう棚橋とヨシタツは同じ岐阜県出身のほぼ同世代(実際には少しヨシタツが後輩)の仲であり、若手時代にもそのよしみもあってか何度か組んだことがある間柄。
それが長い月日を経て、ともにレスラーとして独り立ちを果たして邂逅、棚橋の窮地を救い、それが棚橋の久々のIWGP奪還にもつながったこともあってか俄かに”岐阜県タッグ”の結成の機運が高まります。

第2章 ヨシタツ、最大のピンチ到来す

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新日本プロレス公式サイトより引用

しかし本格的なタッグ結成を前にして立ちふさがったのは、ヨシタツの介入によってベルトを失ったともいえるAJスタイルズその人。
怒り心頭のAJに対し、「He is NOT special」と言い切る肝の太さを見せたヨシタツは次のビッグマッチが開かれた大阪でシングルで対決することに。
ヨシタツとしてはWWEにおいて7年間磨き、気づき上げたレスラーとしてのすべてを新日本の観客の前で披露する、まさにお披露目の舞台!
とはいえ、いくらWWEで7年間活躍したとはいえ相手はAJスタイルズ、後にそのWWEで頂点を極める男、試合は次第にAJのペースとなり、とどめのスタイルズクラッシュの体勢になったところで事件が起きる。
上の画像のような体勢から前に倒れこむことでフェイスバスターの形になるスタイルズクラッシュですが、いわゆる後ろ受け身を取る際の反射的反応が出たのか顎を引いてしまったヨシタツは体は水平のまま首だけが垂直にリングに突き刺さるような形に。
その衝撃的な光景に思わず悲鳴が響く大阪府立でしたが、しかもその後にジェフ・ジャレットからのギターショットも食らってしまったヨシタツ。

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その日はなんとか担架などに乗ることなく退場していき、次期シリーズであるタッグリーグへも参戦が決定したヨシタツでしたが・・・

第3章 ヨシタツ、”ザ・ワールド”を結成、そして・・・

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新日本プロレス公式サイトより引用

そんなこんなで迎えたワールドタッグリーグ(以下WTL)、ヨシタツはある意味念願ともいえる棚橋とのタッグでエントリーし、その名も”ザ・ワールド”と名付けました。
コスチュームの形状も似ていることもあって入場時に見せた二人の合体ポーズも決まっていること決まっていること。
ですがAJ戦でのダメージは深かった、12分間戦い抜くもののオカダのレッドインクでギブアップ、試合後のコメントでは強がったものの後日病院での精密検査を受けた結果、首の二か所骨折が判明しWTLはもちろんその後のシリーズも長期欠場することに。

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この時のことに関しては出場させるべきでなかった、なんて声もあったりして議論を呼びましたが、あくまでもフリー選手として、そして古巣に錦を飾る上でも、無理してでも・・・なんていう意識があったのかもしれません。
しかしながら結果として、困難を乗り越えて結成に至ったザ・ワールドはわずか1試合でその活動を終えることに。

第4章 その後のヨシタツ、復帰、ハンターチャンス、そしてヨシタツポイント

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(新日本プロレス公式サイトより引用)

その後長い長いリハビリ期間を経て、2016年の4月、ヨシタツは念願の復帰を果たします。
そのパートナーは棚橋と、ヨシタツに代わって棚橋のパートナーを務めることも多かったエルガン、この3人でNEVER6人タッグ王座に挑戦し、見事に勝利を果たします。
NEVER6人タッグ王座にはありがちなこととしてこの後すぐにベルトは落としてしまうのですが、その後のヨシタツは棚橋と復縁・・・とはいかずに別の道をたどります。
その後の経緯についてはまた別の機会にまとめるとしても打倒BULLET CLUBを目指すHUNTER CLUBの設立、キャプテンニュージャパンとのタッグと決裂・・・
正直に言うと怪我が怪我だったこともあってか「大いに活躍した」とは言い難い時期でした、同期の田口に向かって「おれをメインイベンターにしてみろ!」と半ばムチャブリをしたこともありました。

そういうこともあってヨシタツは新天地、全日本へ旅立ちました。
如何せん全日本での動向をしっかり追えているわけではないですから、風の噂で三冠王座に挑戦したとか、宮原とのタッグを開始した、とか聞く程度です。
それでも、タイムラインに流れてくる画像の表情はどこか明るく輝いて見えました。

 

第5章 ヨシタツ、メインイベンターとなる(所感雑感に代えて)

そういう経緯を経て上記のジャイアント馬場追善興行のカードが発表されたわけです。
正直言えば、いわゆるプロレスファンの大半としては「なぜ棚橋ヨシタツ組?」という風にもとらえるとは思います、というか実際自分もこのカードを見たときは「なぜこのタイミングでザ・ワールド再結成?」と思いました、失礼ながら。
それでもこれまでのザ・ワールド、というかヨシタツの歴史の一部を振り返ってみると、その苦労がうかがえるわけで、
そして自分はそれを目前にすることはできませんでしたが、風の噂に聞くような全日本での活躍・噂を聞けばきっと彼がその新天地で色々なものを勝ち取ったのだとわかるわけです。
消して順風満帆でないプロレス人生のなかで、団体としても大一番のメインイベントを勝ち取る、それも一つの立派な物語ではないですかね。
もしこの記事を読まれた方の中でこの試合を観に行くという方がいれば、こういった経緯・歴史を踏まえてリング上へ目を向けてもらえると幸いです。

きょうはこれまで、それでは


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