プロレス統計

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各種数値で見る東京ドームでのプロレス興行

新日本プロレス史上初となった東京ドーム2連戦、その動員は1日目が4万人、2日目が3万人の合わせて7万人超の動員となりました。
リング上ではオカダさんが「超満員にならなかった!」と嘆いていましたが、木谷オーナーは「歴史的偉業*1」、メイ社長も「もう一つ上のステージに行ける*2」と概ね経営陣サイドからは成功としてとらえられているみたいですね。

そんな東京ドームですがプロレス興行が開催されるようになって丸30年が過ぎ、先日のWRESTLE KINGDOM14をもって66回のイベントが開催されたようです。
というわけで今回はこれまでに東京ドームで行われたプロレス興行について各種数値で振り返っていきたいと思います。

 

集計したもの

今回もCagematchを用いて東京ドームで行われた過去のプロレス興行について集計を行いました。
プロレス興行に関する検索で開催地を「Tokyo、Japan」、建物を「Tokyo Dome」とした検索結果がこちらなのですが、ここから新日本プロレスのワールドプロレスリングの項目を除外、また東京ドームシティホールでの大会を除外し、以下の集計を行っています。

大会数推移

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東京ドームは1988年に開設された会場ですが、その「プロレスこけら落とし」興行となったのは1989年4月24日に開催された新日本プロレスの'89格闘衛星 闘強導夢で、同年11月29日にもUWFがU-COSMOSというイベントを開催しているので結構初期からプロレス興行は行われていたんですよね。
上図は各年の東京ドームのイベント開催数を示した図ですが、その開催数は90年代から00年代戦半にかけて徐々に増加しており、
ピークとなった2003年には実に5度のドーム大会が開催されています。
このデータを見た時に「色んな団体が進出したんだなぁ」なんて思ってたんですけど驚くなかれこのうち4回は新日本が開催した大会であり(1大会は全日本プロレスが開催した第2回WRESTLE-1)、その中に悪名高いアルティメットクラッシュも含まれています。
今回調べてみて初めて知ったんですけど「アルティメットクラッシュ」と名の付く大会はこの年2回あり、5.2の大会では小橋蝶野戦や高山永田戦などが行われた大会で、10月13日に行われたアルティメットクラッシュ2で所謂あの試合が行われたとかなんとか。

それはさておき2005年を区切りにドーム興行は一気に減少、それ以降は年に1回の新日本のドーム興行が続いてきた形ですね。
と思っていたら2017年に新日本のドーム大会以外にも行われている・・・と思ったらDDTが行ったドーム内での路上プロレスのことのようです(まぁドーム内の興行なのは間違いない)。

ドーム大会参戦回数

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ここからは全66回行われたドーム大会、特にそこに参戦した選手について各種数値ランキングで見ていきたいと思います。
まず初めにドーム大会への出場回数ランキング。
1位となったのはドームで始まり、ドームで終わったまさにドームのアイコン出るとも言える獣神サンダーライガー選手で断トツの49回の出場でした。
2位にはその下の世代と言え、ドーム大会がかなり多かった00年代を支えた永田選手で43回、そして3位にはその時代に現場責任者も努めた蝶野選手で39回となっています。
そもそも各団体のドーム大会開催数を見ると新日本がダントツの47度の開催なのでそりゃあ新日本勢、特に00年代に現役バリバリだった人たちが上位を占めるわな、という。

ドームでの勝利数

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続いて勝利数のトップ10を見てみると、出場回数トップだったライガー選手が49戦中28勝でここでも1位。
しかし、試合数では2位、3位となった永田・蝶野さんが勝利数では一歩下がり、代わりに入ってきたのは天山選手(39試合22勝)グレートムタこと武藤敬司選手(31試合21勝)の二人。
このようにやっぱり第三世代・三銃士世代が強いランキングですけどその中で9位タイに棚橋弘至が食い込んでいる辺り、00年代後半以降の追い上げが効いている感じがしますね。

ドームでの敗北数

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少し意地悪ですが敗北数も調べてみると、先日引退を発表した中西選手が37試合25敗で1位となってしまっていました。
レスリングエリートとしてデビューした中西選手ですが、ドームではかなり苦汁をなめさせられてきた、と言えるかもしれません。

メイン登場数

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続いてはドーム大会におけるメインイベント登場数のトップ10ですが、
ここで00年代後半および10年代をけん引した棚橋選手が11度のメイン登場で単独首位、そりゃあ「(1.4)ドームに棚橋がいない」ことに違和感を感じる人が続出するわけだ…。
それに次ぐ2位タイがライバルだった中邑選手、そして闘魂三銃士の橋本・武藤両選手というあたりそうそうたるメンバーを抑えての1位という感じしますね。
この中でいうとオカダ選手が早くも?5位に入っているのも目につきますけど、ここで新日本以外の選手として天龍選手、川田選手などがランクインしているのも見逃せませんね。

メイン勝利数

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続いてメインでの勝利数を見てみると、メイン登場数でも1位になった棚橋選手が7度のメイン勝利でここでも単独首位。
それに次ぐのがライバルだった中邑選手というのも熱い状況です。

メインでの敗北数

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続いてメインでの敗北数も調べてみると、棚橋選手と闘魂三銃士のお三方、永田さんに天龍さんとそうそうたるメンツが4度の敗北で同率1位。
団体のトップどころとなると1度や2度以上のメインでの敗北を経験しているもんなんだなぁ…

 

所感雑感

というわけで、お察しの通り「これドーム大会だけの集計できるやん!」と気づいて思い付きの集計でした。
いやしかし新日本て00年代前半にこんなにドーム大会やってたんだな…時期的には猪木さんが新日本と縁を切る直前だったと記憶していますが、今年2連戦で会社もファンも選手もヒーヒー言ってたのを考えると年4回開催とか・・・
と思いましたけどまぁ連戦とビッグマッチで季節ごとに開催だとまた感覚も違いますからね。
この時代に関しては本当に当時を知らないのでその時の空気感なんかを想像するしかないのでこういう記事になるんですが、その時の雰囲気とか思い出とかあったら是非教えてください。

 

きょうはこれまで、それでは