来年のWRESTLE KINGDOM 14の見所の一つとして々宣伝されているIWGPヘビー&インターコンチネンタルのダブル選手権試合、
これに関する議論などはどうやら世論ののど元を過ぎたようで沈静化したような感じもします。
賛成していた人は元から騒がないでしょうし、反対していた人も「まぁ決まったもんは仕方ないか・・・」という気分になっている頃合いでしょう。
そういう時間の経過に加えて今のシリーズにはオカダや飯伏がほぼ参戦しておらず、参戦しているジェイ内藤はインターコンチに集中している感じで二冠戦へのコメントもないため物議を醸そうにも火種がないというところもありそうですが。
で、こんな時だからこそふと脳裏に浮かぶのは二冠戦の”その後”。
実際、私が見逃している部分もあるとは思いますが、ざっと関係選手のコメントを見ていると「二冠王者になってやるぜ!」とは言いつつ「その後具体的にどうするのか」についてはあまり誰もコメントしてないんですよね。
例えばいざ入場するときを考えても「両方とも腰に巻いて入場してやる」とか「ヘビーを腰に、ICは肩にかけて(またはその逆)」、はたまた「統一新ベルトを作らせる」とかまぁ色んなパターンは考えうるわけで。
まぁ、それこそ来年のことなのでそういうことを真面目に話すと鬼が笑う案件でもあるんですが、今回は「じゃあ今までの〇冠王座ってその後どうなったのよ?」ということを振り返りつつ、IWGP二冠王座の1.5以後について思いをはせたいと思います。
ジュニア8冠王座 (1996.8.5~1997.6.6)
(画像中断左が初代王者になったザ・グレート・サスケ)
新日本における〇冠王座というと真っ先に思い浮かぶのがこれじゃないですかね。
時は1996年、当時英連邦ジュニアヘビー級王者であった獣神サンダーライガーの呼びかけから、当時8人いた「ジュニアヘビー級」の王者による最強決定戦にして勝者総取り戦が行われることに。
それが8月2日~5日におこなれたJ-CROWNというトーナメントで、参加した選手にして王者は以下の通り。
ザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス)
IWGPジュニアヘビー級王座
ウルティモ・ドラゴン(WAR)
インターナショナルジュニアヘビー級王座
エル・サムライ(新日本プロレス)
WWF世界ライトヘビー級王座
大谷晋二郎(新日本プロレス)
UWA世界ジュニアライトヘビー級王座
グラン浜田(みちのくプロレス)
WWA世界ジュニアライトヘビー級王座
獣神サンダー・ライガー(新日本プロレス)
英連邦ジュニアヘビー級王座
ネグロ・カサス(EMLL)
NWA世界ウェルター級王座
茂木正淑(レッスル夢ファクトリー)
NWA世界ジュニアヘビー級王座
少し日本のプロレス史を調べたことがある人、そして歴戦のファンには「あの!」という選手がずらりと並んでいるあたり如何に豪華なトーナメントだったのかがうかがえますね。
2DAYSトーナメントの結果、初代ジュニア8冠王者となったのはみちのくプロレスの雄たるザ・グレート・サスケ選手。
ジュニア8冠王座は各ベルトが異なる団体の管理下にあったこともあってベルトはそのまま、王者はそれを体中に巻き付ける形で記念撮影などを取っていましたね。
しかし一人で持ち運ぶどころか入場するのも困難なのもあってか、王者の入場の際はベルトをそれぞれラウンドガールよろしく”ベルト”ガールが持って入場するという演出が取られていました。
そのジュニア8冠ですが統一から約1年後の1997年6月6日、当時8冠王者だったライガーに対し、WARの安良岡裕二が8冠の内の1つであるインターナショナルジュニアヘビー級王座のみに挑戦、奪取したことでジュニア7冠に減少。
そのWWF(現WWE)から「WWF世界ライトヘビー級王座は昔の会長の時代に作られたものであり、現在はWWF認定王座ではない」とのクレームを受け8月10日にベルトをWWFに返却することに。
なのでこの時点でベルト自体は6本になってるはずなんですけど名称はそのまま防衛戦が行われ、11月2日にジュニア7冠王座は解体され、各ベルトは管理団体に返却されることになったようです。
まぁ当時の詳しい経緯を読んでみたくなるところですけど、いずれにしろジュニア8冠王座は「ベルトはそのまま」で活用され、最終的には「解体、分割」という末路となったようです。
三冠ヘビー級王座 (1989.4.18~)
日本のプロレスにおいて「〇冠といえば?」と尋ねればおそらく9割がたはこの存在があげられるであろうタイトルが全日本プロレスの三冠ヘビー級でしょう。
言わずと知れた全日本プロレスの現役最高王座なわけですが、その”三冠”とはPWFヘビー級、インターナショナル・ヘビー級、ユナイテッドナショナルヘビー級の3つの王座が統一されたものを指しています。
この3つのベルトの由来についてはかなりややこしい部分があって私も今ちょこちょこ勉強しているところなんですが、
元々日本プロレスの時代に力道山がNWA世界ヘビー級王者だったルー・テーズにノンタイトルマッチで勝ったことによって「世界王者に匹敵する」として名乗り始めた「もう一つの世界ヘビー級」としてインターナショナル・ヘビー級が作られベルトも作成されますが、力道山が死去した際に一緒に王座自体は封印されます。
その後ジャイアント馬場の人気に伴って同名のインターナショナルヘビー級王座が復活し、2代目のベルトが作られます。
その後馬場は全日本プロレス旗揚げに伴ってインターナショナル・ヘビー級(2代目)を返上、その代わりとして力道山の遺族である百田家から初代インターナショナル・ヘビー級のベルトが寄贈され、これが後に新たなタイトル管理組織太平洋沿岸レスリング同盟PWFの管理下に置くことで名前をPWFヘビー級に改名。
PWFヘビー級が定着したころになって返上され、別団体で使われていたインターナショナル・ヘビー級(2代目)が全日本で復活、これがその後もインターナショナル・ヘビー級と呼ばれていく王座になります。
つまりこの二つはいずれも元は同じインターナショナルヘビー級ってことですね。
3つ目のベルトであるユナイテッドナショナル(UN)ヘビー級は元々はNWA管理下のベルトで日本には日本プロレス時代のアントニオ猪木が持ち込んでいますが、日本プロレス退団に伴って返上、その後日本プロレス崩壊によって休眠状態に。
その後全日本プロレスで復活する、という流れはインターナショナルヘビーと同様の流れですね。
で、当時の全日本のトップ選手が初めてこの3つのベルトの総取り、三冠戦に挑んだ1984年のこと。
インター王者のブルーザー・ブロディ対UN&PWF王者の天龍源一郎がその初戦ですが、この試合はリングアウト決着となり移動および三冠は達成されず。
で、本当に三冠王者が誕生するのはそれからなんと5年後の1989年のことで、ジャンボ鶴田がスタン・ハンセンに勝利することで初代三冠王者となりました。
その後2013年までは、各ベルトの新調とかもありつつベルトは同じデザインで3本のまま保持、各王者で「どのベルトを腰に巻くのか」という色付けも行われたとか。
しかし2013年、全日本プロレスの体制が変わることをきっかけに3本のベルトを馬場家へ返納、新たにデザインを一新した三冠ヘビー級ベルトとして文字通り”一本化”されることに。
それ以降は基本的にこの1本のベルトでタイトルマッチも行われていますが、2019年2月19日のジャイアント馬場追善興行では馬場家の好意により、当時の王者・宮原健斗が新三冠ベルト+旧三冠ベルトという4本巻を披露しています。
結果としては三冠ヘビー級は「ベルトは一本化」され「王座は存続」という形。
WWE世界ヘビー級 (2013.12.15~)
最後に自分の記憶にあった〇冠王座としてWWEのWWE・世界ヘビー級について。
2010年代初めの時点でWWEにはWWEヘビー級と世界ヘビー級という2本のベルトがありました。
WWEヘビー級は勿論WWE制定の最高王座ですが、世界ヘビー級は元々はNWA制定の世界ヘビー級が紆余曲折あってWWEの管理下に入ったもの。
当時はそれぞれがWWEの二つのテレビ番組(Raw,Smackdown)のそれぞれの最高王座として使われていたんですが、2013年12月のPPV、Table Ladder Chair略してTLCにおいてジョン・シナとのタイトルマッチに勝利したランディ・オートンがこの二冠となりました。
その後タイトルは二つ合わせてWWE・世界ヘビー級と称されることになりましたが、間もなくして名称がWWE世界王座、WWE王座と改称されベルトも一本化。
その後新たにWWEユニバーサル王座など同格のベルトが誕生して現在に至っています。
そういう意味でいうと「ベルトは一本化」そして「タイトルも統一」という形ですね。
所感雑感
というわけで私の記憶にある〇冠王座についてまとめでした、いやー三冠王座の各王座についてはややこしすぎる・・・
今回に関しては〇冠王座として存続したものについてだけなので、他にも「一方は封印・消滅」っていうパターンもあるとは思いますが、一度〇冠王座となった場合には「ベルトの一本化」もしくは「王座解体」が待っているのかなぁという感じですね。
どっちが良いのかとかは各人によるとは思いますけど、奇しくもIWGPヘビーもインターコンチもつい最近新調したばかりというのもあってしばらくは二本巻してほしいなぁと思ったりもします。
二本巻でいうと同に2個巻いたり、胴体をクロスするように巻いたり、二本を連結させてマフラーのたらし巻きみたいにしたり・・・と色々個性がでるところなのでぜひ頑張ってほしい。
きょうはこれまで、それでは