さて先日お知らせしたとおり、エル・デスペラード選手の負傷とフリップ・ゴードン選手のビザトラブルで2名の欠場が出たBOSJ26。
すぐさまその欠員が埋められ、デスペラード選手の穴は弟分といってもいいDOUKI選手で埋められましたが、フリップ選手の穴はというと
【『SUPER Jr.』出場選手変更のお知らせ】
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) May 10, 2019
デスペラードの代替選手は、“タイチからの刺客”DOUKI!
ゴードンの代替選手は、成田蓮に緊急決定!!https://t.co/IkbgCysi0P#njbosj #njpw pic.twitter.com/T4tX8cxylT
今回のBOSJへの出場が期待されていたヤングライオンの成長株、成田蓮選手がエントリーされることになりました。
最近はビッグマッチのオープニングを務めることも増え、その責任重大な試合をオリジナリティあふれる成田スペシャルで締めることも増えてきた成長株だけにある意味で待望のエントリーといっても過言ではないでしょう。
まぁ成田選手については改めて知ることも・・・という感じではあるんですが、よく考えればこのBOSJは若手の登龍門的な役割を果たしていた部分もあり、毎年ではないものの過去にもヤングライオンがBOSJに出場していたことがあります。
ということで今回はそんな先輩たちの奮闘について振り返りです。
(今回は新日本公式サイトに試合詳報が載っている2007年以降に限らせてもらいます。)
内藤哲也 裕次郎 (2007年、BOSJ14)
現状新日本プロレス公式HPに記載がある範囲だと、黒パン時代の内藤哲也選手及び裕次郎選手が最古の出場ですね。
この両者といえば後に結成されるNOLIMITを思い起こしますがその本格的な結成は翌年からになります。
内藤選手は当時デビュー1年未満の時期だったので今回の成田選手と同じく大抜擢ですね。
経緯としても出場予定だった邪道選手の欠場を受けての代打出場だったようです。
戦績としては開幕戦で邪道のパートナーであった外道選手から、そしてその後自身の憧れでもあったというエル・サムライ選手からジャパニーズ・レッグロール・クラッチ・ホールドでの金星を挙げています。
ただの丸め込みでなく、新日本においては正統技巧派の象徴的な技で金星をを挙げているあたりのこだわりが見えます。
ちなみに翌年、2008年にもBOSJに参加し同じく2勝を挙げています。
たしかこのころのエピソードについては公式スマホサイトでの自伝式インタビューで本人が語っていたような気がするのでそっちを参照した方がわかりやすいかもしれませんね(たしか書籍化もされていたはず)
同様に裕次郎選手も2007年及び2008年にBOSJに出場しています。
裕次郎は2004年にデビューを果たしているものの2005年11月~2006年3月まであごの骨折で長期欠場を経験したりしています。
そしてデビューから3年弱の時を経てBOSJに出場、直前にはサムライジムに加入、IWGPジュニアヘビーへの初挑戦などの欠場での遅れを取り戻すような積極的な行動を経ての出場ですね。
BOSJではアマレス仕込みのパワーもあって、ミラノコレクションA.T.に対してスピアーで金星を挙げ、デヴィットに対する不戦勝も併せて2勝の成績を収めています。
前述の通り翌年は内藤哲也とのNO LIMITを結成しています。
吉橋伸雄 (2010年 BOSJ17)
現YOSHI-HASHIこと吉橋伸雄のデビューは2008年、そこから2年を経て2010年にBOSJへの初出場を果たします。
しかもその初戦となるAKIRA戦でスワントーン・ボムで大金星を飾るという華々しいBOSJデビューを飾りますが、その後が続かず成績は1勝6敗のみ。
しかしこの成績を経てBOSJ最終戦でメキシコCMLLへの無期限海外武者修行へ旅立つことになります。
髙橋広夢 (2012年 BOSJ19)
今年のBOSJへの出場・復帰が期待されていたヒロム、いや髙橋広夢もヤングライオン時代に2度のBOSJ出場を果たしています。
広夢のデビューは2010年、その翌年にBOSJ参加の予選に参加するものの現DDTプロレスの石井慧介に敗れ参加はならず、翌々年の2012年にブラックタイガー欠場の代打として直談判をすることで初出場にこぎつけました。
デビュー2年目での初出場でもなかなか勝ち星を取ることはできなかったんですが、最終公式戦となったTAKAみちのく戦で首固め(キャッチ・ザ・ドリームと命名)で金星を挙げることに成功しています。
翌年もBOSJに参戦しますがこの年は金星を挙げること敵わず全敗に終わっています。
そしてBOSJの最終戦において同期の渡辺(現EVIL(の依り代))にギブアップ勝ちを収め、イギリスそしてメキシコへの長期海外遠征へと旅立ちます。
小松洋平 (2015年 BOSJ22)
”噛み”応えがある男こと小松洋平(現YOH)のデビューは2012年末。
その後同団体の若手がなかなかデビューしなかったこと、そしてジュニア部門も多数の外国人選手の参戦などもあってなかなか日の目を見ない時期が長かったわけですが、2015年に念願のBOSJ初出場にこぎつけます。
開幕戦となったライガー戦では、温めてきたウルトラタイガードロップや今も使っているファルコンアローなど新たな引出しを見せていったものの初戦の相手となったライガーに完敗、その後も金星を挙げることはできず全敗に終わりました。
所感雑感
というわけでヤングライオンのBOSJ参戦について振り返りでした。
2007年以前でいうと2006年には後藤洋央紀選手が出場したりしてますね。
まぁ見ての通り、同選手の2年連続出場っていうものがあったりはしますが、近年では必ずしも毎年のように出場できているわけでないようです。
今回の成田選手でいうと2015年の小松選手以来、4年ぶりの出場ですしね。
そして今回と同じく、出場予定だった選手の代打というパターンも昔からあったようで。
とはいえ内藤選手や広夢選手なんかはこの代打出場を翌年にもつなげていたわけなので、成田選手にも今後につながる活躍を期待したいですね。
きょうはこれまで、それでは