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ジュニア王者として振り返る新日本プロレスのKUSHIDA

新日本プロレスにおいて1月は1年の集大成でもあり新たな1年のスタートでもある、終わりであり始まりの時期でもあります。
それは選手との契約においてもそうで、今年も新日本に残ることを決断する選手がいれば、また去る決断をする選手もいます。
その中でも惜しまれつつ、なおかつ盛大に送り出されるであろう選手がKUSHIDA。
2011年2月に棚橋に迎え入れられる形でSMASHからの円満移籍の形での入団、その後ジュニアヘビー級においてタッグでもシングルでも活躍したわけですが、2019年の1月いっぱいでその8年の新日本生活を終えることに。
自分が新日本を見始めたのが2011年中ごろだったはずなのでちょうど自分の新日本キャリアとダブるところもあるんですがそういう選手が去っていくのは心なしか寂しいところがあります。

KUSHIDA選手については自分よりもよっぽど詳しいうえに思い入れ深い人たちもいて、そういう方たちがいろいろな出来事を総合的に振り返ってくださるとは思うので、
弊ブログではその活躍の一面としてIWGPジュニアヘビー級王者としてのKUSHIDA選手を振り返ることで花向けにしたいと思います。

 

第68代王者時代 (2014.7.4~2014.9.21)

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新日本プロレス公式サイトより引用

KUSHIDA選手が最初に頭角を現したのはアレックス・シェリーとのTIME SPLITTERSであり、そのご数年にわたってIWGPジュニアタッグで活躍をしたわけですが、シングルで頭角を現し始めたのは2014年から。
あやふやな記憶ですがそれに先駆けて、それまではこころなしか丸っこかった身体をグッドシェイプに引き締め、黒地にライオンマークをあしらったハーフパンツだったコスチュームも白基調に変えたのもこの時期でしたか。
そのシングル転向の第一歩として臨んだBOSJでは、その後の代名詞ともなるホバーボードロックを引っ提げて決勝進出の快進撃、決勝では惜しくも敗れて準優勝に終わるものの、リコシェとの名勝負を繰り広げます。

その功績・実力を認められてか、BOSJ優勝者リコシェを破って防衛に成功した王者飯伏の次の挑戦者に。
当時の飯伏はまさにジュニアとしての全盛期、IWGPジュニア王者として2年連続のG1出場を控えていたわけですが、このG1直前の防衛戦でKUSHIDAの倒立式キックによって脳震盪になり、そのダメージも深いままギブアップを奪われ王座陥落。
正直な印象、KUSHIDAとしては初のタイトル獲得だったわけですが、何ともケチがついてしまうようなシングル王者としての門出になってしまったわけです。(なんかつい数日前に似たようなのを見た記憶が…)
とはいえこれを機にしてか飯伏はヘビー級へ転向することにもなり、それまで数年にわたって新日本ジュニアで覇権を握っていた飯伏ーデヴィット(当時退団済み)ーロウキー(当時離脱済み)の3強体制の最後の一角を崩すことに成功し、新たな時代の口火を切ることに成功。

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新日本プロレス公式サイトより引用

で、新たな時代を築いていくかと思われた矢先に、初防衛となる田口戦においてまさかの王座陥落、世にいう「シックス・ナイン王者」誕生の瞬間である。
田口にとってはこの王者時代のはっちゃけっぷりが後の田口ジャパン旋風?につながるわけですが、KUSHIDAにとっちゃまんまとダシにされてしまった形だったか。

第71代王者 (2015.7.5~2015.9.23)

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新日本プロレス公式サイトより引用

そんな田口現監督を破って新たに王者になったのは今話題のケニー・オメガ、当時はDDTから新日本へ移籍し、BULLET CLUBの一員として再デビューをしたところで、初戦となる2015年の1.4で監督を破ってIWGP奪取、その後新日本に参戦していたマスカラ・ドラダやKUSHIDAのパートナーであるアレックス・シェリーを相手に防衛を果たしてました。
そうして迎えたBOSJにおいて、KUSHIDAはその後世界各地で「ぜひ再戦をしてくれ!」と言われる、自身の”代表作”ともいえる対カイル・オライリー戦を経てケニーの前に立ち、見事に大阪城ホールで勝利をおさめます。
去年の忘れ物を回収し、素晴らしい”作品”を作ったうえでの勝利、まさに勢いに乗ったうえでの王座戴冠でした。

この際の戴冠では、その後G1優勝決定戦のリコシェとの防衛戦を経て見事に初防衛を果たします。
しかしG1明けての9月のDestructionシリーズ、元王者とのリマッチが決まったわけですが、今度のケニーはセコンド、しかもアンダーソンやギャローズのヘビー級の介入も辞さず、なりふりかまわずの勝利。
うーん、極悪極まる、逆にいえばケニーとKUSHIDAの抗争が継続ということでもある。

第73代王者 (2016.1.4~2016.9.17)

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新日本プロレス公式サイトより引用

その後二人の抗争の決着点は2016年の1.4で行われ、この試合でKUSHIDAにしては珍しい丸め込みによって勝利し、三度IWGPジュニアヘビー級王者に返り咲きます(でも丸め込んだ時ケニーの両肩がついてなかったのをワシは覚えておるぞ)
まぁともかくこの第73代王者の帰還が”王者KUSHIDA”として、最充実な期間だったのは間違いないでしょう。
1.4で敗れたケニーはその後ヘビー級へ移行するわけですが、それはケニーとの抗争終了を意味しており、その後多彩な対戦相手と5度の防衛線を行います。
新日本に移籍してから因縁深いBUSHI、その後来日も果たすACHとアメリカでの防衛線、現在も新日本で活躍するオスプレイとの二度の対戦、ライガー最終章、それぞれ対戦相手もバラバラだからこそKUSHIDAのいろんな面が見えた期間でもあるでしょうね。

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新日本プロレス公式サイトより引用

そんな充実の第三次KUSHIDA政権を終わらせたのは初防衛の相手でもあったBUSHI。
どういう経緯だったかは忘れましたけど、当時はLIJ旋風真っただ中、その勢いを駆っての挑戦だったような気はします。
しかも舞台は大田区総合体育館のメイン!それまでジュニアの地位向上を訴えてきたKUSHIDAにとっては一つの集大成ともなる場面での赤っ恥、色的には緑っ恥でした。

第75代王者 (2016.11.5~2017.1.4)

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新日本プロレス公式サイトより引用

とはいえBUSHIについては11月に行われた大阪でのリベンジマッチできっちり借りを返し、4度目の戴冠を果たしたわけですが、その前に立ちふさがったのは凱旋帰国を果たした髙橋ヒロム。
ある意味でこの第4次政権はこの、新世代ヒロムとの抗争の幕開けだったわけです。
結果としてはそのド派手な入場パフォーマンスから奇想天外な技の数々から、その勢いのままヒロムに凱旋即王座戴冠という快挙を果たさせてしまう結果に。
ある意味この試合から対上の世代、対同世代から対下の世代、壁としてのKUSHIDAという存在が始まった感じもしますね。

第77代王者 (2017.6.11~2017.10.9)

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新日本プロレス公式サイトより引用

その後、ヒロムとは1度のリマッチ権行使するもまさかの1分56秒殺にて敗北を喫してしまうものの、その後のBOSJにおいて新技バック・トゥ・ザ・フューチャーを解禁しての優勝、そしてその勢いでのベルト奪還を果たしました。
とはいえ、個人的印象だとヒロムの狂信的ともいえる支持率もあってかその(結果として)2度のリマッチを経てちょっとヘイトも買ったような印象があったKUSHIDA。
その時勢に挑戦者たちが過敏に反応したのかこの第5次KUSHIDA政権ではやたらと試合後に襲撃されていたのを思い出します。
まずヒロムから奪取したその場でBUSHIに毒霧、BUSHIとの防衛線を終えた直後のデスペラードによるギターショット、一体KUSHIDA青年が何をしたっていうんだ…

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新日本プロレス公式サイトより引用

まぁそんなこんなで壁役として下の世代(同世代もいるけど)の壁になっていたKUSHIDAですが、それをいの一番に乗り越えたといえるのがオスプレイ。
オスプレイは初来日になったIWGPジュニアヘビー戦でKUSHIDAに敗れ、その後もBOSJ決勝などでもやぶれの4連敗を喫しており、5度目の正直でようやくKUSHIDAの壁を超えることに成功したともいえます。
ちなみにこの時期になると弊ブログも稼働していてツイート解析をしているんですけど、このオスプレイがKUSHIDAに勝利した瞬間がツイート数が最多だったりします。
いずれにしても下の世代を跳ね返すのが壁の役目、だとすればある意味で壁としてのKUSHIDAの役割はここで終わっていたかも・・・と思ったりもします。

www.pwanalysis.com

第82代王者 (2018.10.8~2019.1.4)

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新日本プロレス公式サイトより引用

ところがどっこいそうは問屋が卸さないのがプロレスの不思議なところ。
2018年に入って髙橋ヒロムが再度ベルトを戴冠したものの、試合中に首を負傷、王座返上を余儀なくされました。
それを踏まえて新王者決定トーナメントが開催され、直近の王者だったオスプレイ、マーティ、BUSHIそしてKUSHIDAがエントリー。
その4人によるトーナメントの結果優勝を果たしたのはKUSHIDAその人。
こうして第六次KUSHIDA政権はスタートしたものの、2018年初めに新日本に新たに参戦した石森太二に照準を絞られ、つい先日のことですが翌年1.4にベルト陥落、地震としては3度目の「0防衛政権」になってしまいました。

 

所感雑感

というわけでKUSHIDA選手のシングル王者としての側面でした。
もちろん、自分でまとめていても思いましたけど、上で挙げた以外にもBOSJでの活躍やタッグでの活躍、無差別級としての活躍、はたまた本隊のいじられキャラとしての活躍?なんかもあったわけで、語りつくせないほどの思い出がそこにはあるでしょう。

で、KUSHIDA選手の今後はまだ決定はしていないようなのですが、噂としてはアメリカ、WWE、中でも米インディオールスターと化しているというNXTへの参戦が噂されてます。
前々からおもっていたことですが、こうしてタイトル歴を振り返ってもここまで何度もタイトルを獲得できるのは一重にその安定した試合運びと確実な技量あってのことだと思っていて、さらには(特にアメリカでのファンの)嗜好を押さえている選手でもあったと思います。
そういうのもあって前々から「NXTという団体に日本で、少なくとも新日本で一番合っているのはKUSHIDAだろう」とかってに思っていたわけですが、そういう意味で彼の今後に全く不安がないという。
さらに言うと、今はヒロムが欠場中でメンツ的な不安があるとはいえ、新日本でやれることはほとんどやりつくしたうえでの離脱なあたり、あまり残念さや後悔が先に立たない感じもあって。

とはいえここ数年の新日本における貢献者の一人であることは違いなく。
このまとめをもって花向けにしたいと思います。

きょうはこれまで、それでは

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