すっかり更新も滞ってしまってましたが皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。
自分は所謂G1ロスに陥ったのか、それとも新日本の公式も夏休みに入って供給が途絶えたためにネタが思い浮かばなかったのか、中々記事の作成が手につきませんでしたね。
とはいえブログに関して何もしてなかったわけでもなく、最近ようやく使い方を理解したpandasのDataFrameを使ってこれまで作ったプログラムを書き直したり、いつもお世話になってるCagematchのデータをスクレイピングするプログラムを書いたりしてました。
それらの成果についてはまたいずれ
閑話休題、新日本も夏休みが明けたのか先日一気に来シリーズについての情報が解禁されましたね。
その中で特に気になったのはこちら
髙橋ヒロムがIWGPジュニア王座を返上へ。
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) August 20, 2018
KUSHIDA、BUSHI、オスプレイ、スカルの4選手による“王座決定トーナメント”が決定!https://t.co/Apf7cVwZb4#njpw #njdest #njpwUSA pic.twitter.com/L0bOkCBZCg
ヒロムの王座返上は予想してはいましたが空位となったIWGP Jr王座を決定するトーナメントの開催とは。
実はちょっと調べてみるとIWGP Jr王座の場合、これまで王座決定トーナメントって開かれたことがないみたいなんですよね。
これまでの返上パターンとしては王者の返上により新たに二人の候補者が選ばれての王座決定戦で、最近でいうと2011年に飯伏が肩の負傷で返上した際に挑戦予定だったKUSHIDAと前王者だったデヴィットが王座決定戦をしています。
つまりこれまでの慣例に倣うのであればこの挑戦予定者vs前王者の決定戦が行われるはずが、今回のヒロムの場合は次期挑戦予定者が未定だったために通常通りの王座決定戦を行うことができず、初めて王座決定”トーナメント”を行うことに決定した、というのが話の流れみたいですね。
ちなみに面子についてはヒロムを除く直近の4王者が選ばれた形ですね、これ以外となると2015年にケニーが、2014年に田口監督が戴冠してますが。
というわけでいずれにしろ前例のないことなのでどう振り返るか・・・と思案したんですがどうやらIWGPヘビーの方では何度か王座決定トーナメントが行われていたようなのでこちらと、ついでに他のベルトの初代王座決定トーナメントなども振り返りたいと思います。
(8/23追記)
コメントにおいて「1974生まれ」さんよりご指摘があり調べたところ、1994年9月27日大阪城ホール大会において前王者ライガーの王座返上によるIWGPジュニア王座決定トーナメントが保永 昇男、グラン浜田、ブラックタイガー、エル・サムライ、大谷晋二郎、ワイルドペガサスの6名で行われ、決勝でワイルドペガサスを下した保永が新王者に戴冠していました。
それに基づいて記事を一部訂正しました、ご指摘ありがとうございました。
しかしWikipediaだと新日本の記事、IWGPジュニアの記事、保永さんの記事にも記載がないとかどういうことなの・・・?
一応複数のHPで「IWGPジュニア王座決定トーナメント」の開催は確認が取れましたが、参戦メンバーまで確認できたのはCagematchのみでした。
(参照1,2,3)
- 1989.4.24 ’89格闘衛星☆闘強導夢
- 2001.1.4 WRESTLING WORLD 2001
- 2004.2.15 FIGHTING SPIRIT 2004
- 2006.7.17 Circuit 2006 Turbulence ~乱気流~
- 2011.5.13~5.15 IC初代王座決定トーナメント
- 2012.11.15~19 NEVER初代王者決定トーナメント
- 2017.7.1~2 IWGP US王座初代王者決定トーナメント
- 所感雑感
1989.4.24 ’89格闘衛星☆闘強導夢
新日本プロレスで初めてIWGP王者決定トーナメントが行われたのは1989年のこと、新日本として初めて東京ドーム大会を開催するとなって、その目玉の一つとして開催された感じですね。
ちなみにIWGP王座決定トーナメントはいずれも1dayトーナメントで行われてます、いや大変だな…
この時の参戦選手はビッグバン・ベイダー、蝶野、藤波、橋本、長州という新日本常連選手5人に加えて、ベルコビッチ、ザンギエフ、バズ・ソイヤーという3人のソ連出身のレスラーたち、通称レッドブル軍団が参戦。
決勝は1987年の新日本デビューこそ暴動が起きる怒号の中だったものの当時既に人気外国人選手として定着していたベイダー対、当時闘魂三銃士としてまさに絶賛売り出し中だった若手の橋本真也の一騎打ち、結果としてはベイダーが勝利しIWGPを手に入れました。
2001.1.4 WRESTLING WORLD 2001
次に行われたのは12年後の1.4東京ドーム、こちらもドーム大会の大きな目玉としてトーナメントが組まれた形ですかね。
しかもこの時は、当時プロレスリングノア設立による大量離脱に揺れていた全日本から川田が参戦するという話題もあったり。
それに加えて、武藤さんのスキンヘッド公開や長州対橋本(当時ZERO-ONE所属)の遺恨マッチもあったりと話題性盛り沢山って感じですね。
参加選手は佐々木、小島、天山、永田、そして蝶野と全日本の川田がシード扱いに。
決勝では佐々木対川田、新日本対全日本の形になり返上した佐々木が川田を打ち破り改めて王座に就いています。
1.4ドーム大会とあって上にリンクを載せた決勝以外にもトーナメントの試合が新日本プロレスワールドに多数あったりしますね。
2004.2.15 FIGHTING SPIRIT 2004
次は3年後、当時王者だった中邑が負傷によって王座を返上、空位となった王座を両国大会で決定することに。
ある意味今回のパターンに一番近い状況ですかね。
そこに選ばれたのは永田、安田、天山、佐々木、棚橋、高山、天龍、蝶野の8人、この中でいうと棚橋だけが若手の範疇で他は当時からしても現役第一線の選手揃いって感じか。
ここでは天山が決勝で天龍を破って再戴冠を果たしています。
こちらは残念ながら映像は見つからず、それどころか観戦記が1つか2つ見つかる程度で情報部族が否めない。
2006.7.17 Circuit 2006 Turbulence ~乱気流~
IWGPヘビー級王座決定トーナメント 決勝戦 棚橋弘至vsジャイアント・バーナード
次はわずか2年後の札幌、いまだに語られるブロック・レスナーのドタキャン事件(契約金がちゃんと支払われなかったせいと聞きますけども)の結果、レスナーの王座がはく奪され、本来防衛戦が行われる予定を急遽王座決定トーナメントに変更したというもの。
ある意味で伝説的な王座決定トーナメントですね。
参加選手は曙、天山、永田、トラヴィス、バーナード、棚橋で最後の二人はシード枠で参加しており最終的にはこの二人が決勝で戦うことに。
決勝は棚橋がバーナードに勝利し涙の初戴冠、今も続く「愛してます」が生まれた試合でもあります。
この試合に関しては新日本・棚橋の歴史的に重要なポイントということもあってか上記のように新日本プロレスワールドにもYouTubeにも上がってて映像試料が豊富。
2006年と言えばユークス体制に移り変わったその年なので映像資料がそれまで以上に残ってくれてるって部分はあるのかもしれません。
2011.5.13~5.15 IC初代王座決定トーナメント
試合結果1,2,3
初代IWGPインターコンチネンタル王座決定トーナメント決勝戦 MVP vs 矢野通
その後IWGP自体は王座決定戦が行われることなく進められていくわけですが、ユークス新日本時代の末期に”世界戦略の要”という形でIWGP インターコンチネンタル王座が創立されます。
言ってみれば新日本のニューヨーク大会の目玉となるべく作られたわけです。
参戦選手はヒデオ・サイト―、高橋裕次郎、内藤哲也、ジョシュ・ダニエルズ、ダン・マッフ、矢野通、MVP、岡田かずちかと外国人選手3人に当時はまだ若手の域だった新日本の選手が組み込まれる形ですね。
トーナメントは3日に分けて行われたわけですけど、優勝し初代IC王者となったのは元WWEの選手だったMVP、その決勝での相手が矢野だったってのも中々シュールだ。
2012.11.15~19 NEVER初代王者決定トーナメント
その翌年、今度はブシロード体制に移り変わった新日本に新たにNEVER無差別級ベルトが誕生します。
元々NEVERは新日本に限らない若手の切磋琢磨の場、今でいうLIONS' GATEみたいな役割として始まったわけですが、そこでの戦いの目標として創設されたベルトですね。
参戦選手も高橋広夢、旭志織、YOSHI-HASHI、関根龍一、キャプテン・ニュージャパン、滝澤大志、田口隆祐、ヒロ・トウナイ、石井智宏、佐々木大輔、BUSHI、真霜拳號、カール・アンダーソン、高橋裕次郎、KUSHIDAに田中将斗と総勢16名のフレッシュな・・・いや全然フレッシュではないなこのメンツ。
若手は主にKAIENTAI DOJOの陣営と新日本からは広夢ぐらいなもので他は中堅かそこらって感じですね。
思えば後々に散々言われる「初期コンセプトからの逸脱」はこの頃にはもう始まってたってことですかね、まぁこの時点で今に続くバチバチ路線が始まってたとも言いますが。
2017.7.1~2 IWGP US王座初代王者決定トーナメント
試合結果 1 2
初代IWGP USヘビー級王座決定トーナメント決勝戦 石井智宏 VS ケニー・オメガ
その後しばらくはIWGPヘビー、IC、NEVERの3本体制で回っていたわけですが去年になって新たにUS王座が制定されました。
こちらに関してはIC王座と同じく久々の新日本のアメリカでの独自興行の目玉とすべく、って感じなわけですがその後、少なくとも2018年の9月のLA大会まで定期的にアメリカでの防衛戦を行っているあたりその名前の通りの働きはしてるのかな?
参戦選手はジェイ・リーサル、ハングマン・ペイジ、ジュース・ロビンソン、ザック・セイバーJr、石井智宏、内藤哲也、マイケル・エルガン、ケニー・オメガの8名。
ROHが主戦場となっているジェイ・リーサルを除けば他7人は今年のG1にも出場した常連選手ばかりって感じでしたね。
2日間で行われたトーナメントの覇者はケニー・オメガ、まぁアメリカでなくカナダ出身なわけですがその後もジェイ(ニュージーランド出身)、ジュース(アメリカ出身)と外国人王者が綿々と続いています。
所感雑感
というわけで王座決定トーナメントのまとめでした。
本当はIWGPの決定トーナメントだけにしようかと思ってたんですが何となくで他の王座の初代決定トーナメントもまとめてしまいました、ちかれた・・・。
まぁ初代王座決定トーナメントを除けばこういった類のトーナメントは「ビッグマッチの目玉として」というパターンとそれに加えて「アクシデント的な返上・剥奪の結果として」ていうのがあるみたいですね。
今回のIWGP Jr王座に関しては、もちろんヒロムの負傷というアクシデントによる返上もあるわけですが、そこでただの王座決定戦にしなかったのはビッグマッチが多い秋口だからこそ各大会の目玉になるように、という思惑がある感じですね。
まぁいずれにしてもトーナメントは計3試合、良い試合が生まれることを期待しましょう。
きょうはこれまで、それでは