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過去戦績で振り返る”東京ドーム”の内藤哲也

さて第何弾かは早くもあやふやになってきましたが、WK13に向けたまとめシリーズ、今回は内藤さんについてです。
今回もこれまで見たく各種数値で内藤さんとジェリコをまとめようかとも思ったんですが何となく今回は趣向を変えて、いつぞやの棚橋のごとく”東京ドームでの内藤さん”についてまとめです。

参考:

www.pwanalysis.com

 

2009年 ほろ苦いドームデビュー

内藤さんの初めての東京ドーム大会出場は2009年、ユークス新日本期の真っただ中ですが、当時の内藤さんは裕二郎(現・高橋裕二郎)とのタッグ、NO LIMITで若手の枠から抜け出し始めたいたまさにその時で、IWGPジュニアタッグの獲得に加えてジュニアながらG1タッグリーグ(今でいうWORLD TAG LEAGUE)への出場なんかも果たしているまさにイケイケ状態。
そんなNO LIMITの前に現れたのが、なんだか最近よくその名前を紹介している気がする新日本ジュニアタッグに革命を起こしたチーム、Motor City Muchine Guns(MCMG)。
当時提携してたTNAからの刺客だったわけですけど、NO LIMITはこの防衛戦で敗北しベルト流出を許してしまいます。

そんなほろ苦い経験で始まったドームでのキャリアなわけですけど、その後NO LIMITはMCMGを追ってTNAへ遠征します。
まぁベルトは新日本でApollo55が奪い返してしまうのですが、そのまま戻るわけにもいかずNO LIMITは二人でそのままメキシコ遠征に突入、タッグとして活動しながらシングルプレイヤーとしても得難い経験を得たとかなんとか。

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2010年 ヘビー級としての凱旋

そしてNO LIMITが帰ってきたのは2009年末、体もパツンパツンにパンプアップさせたことでヘビー級戦線へとステップを進め、その最初の獲物が当時外敵・チーム3Dに奪われていたIWGPタッグのベルト。
経緯はちょっと定かではないんですが、この試合がもうひとチームのジャイアント・バーナード&カール・アンダーソンのバッド・インテンションズを含めた3WAYだったおかげもあってか、体格差で不利な状況の中で一番体格の近かったであろうアンダーソンに狙いを絞ってベルトの奪取に成功し、今度はベルトを取り戻すことに成功。

この後は新日本内のチーム、上記バッドインテンションズや永田さん&井上さんの青義軍との三つ巴の3WAY戦などを繰り返しつつタッグ部門で争います、なんか今のジュニアタッグと状況自体は似てたんですかねぇ。

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2011年 シングルプレイヤーとしての一歩、しかし苦難の始まり

タッグ戦線で活躍しつつも新日本はシングル基調、そして奇しくも中邑率いるCHAOSに入ったことで憧れでもあった棚橋と対戦する機会も増え、それで自信もつき、会社からの信頼もついたのか翌東京ドームではシングルのタイトルマッチが組まれます。
その相手はジェフ・ハーディ、掛けられたベルトはTNAの世界ヘビー級王座。
間違いなくこれまでのキャリアで最大の闘い、ではあったのですがジェフのコンディションが悪かったのもあったのか、なんともぎくしゃくした試合だったとか。
”だったとか”なんていう書き方になるのは伝聞だからなんですけど、それもここまで挙げた内藤さんのドームでの3試合、共にTNAの選手が出場していた関係からか、新日本プロレスワールドに試合映像がなかったりするからなんです(同大会の他の試合はあるのに)、おのれ。

こうして、初のドームもほろ苦でしたけど初のドームシングルもほろ苦い結果になってしまいました。
まぁ後述しますが、内藤さんこういうゲスト的な選手、しかも大物外国人との対戦が結構多いんですけどなかなかそういう試合で納得いくケースが少ないという、そういうジンクスの始まりでもあるかもしれません。

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2012年 憧れの武藤との対戦

試合映像

その後の内藤は上半期なかなか浮上のきっかけをつかめていなかったのが高橋との不和からCHAOS追放・NO LIMIT解散によってそれまでの仲間であった高橋や中邑との抗争で浮上の兆しを掴み、棚橋のIWGPヘビーにも初挑戦するなどしり上がりに一人のレスラーとして浮上。
そんな上がりつつあった内藤の前に立ちふさがったのが武藤啓司、当時は全日本プロレスの社長でもあり、内藤自身がファンだったその人と対戦する機会に恵まれたわけです。
ちなみに内藤さんがかつて掲げていた「20代でのIWGPヘビー戴冠」は武藤(グレートムタとしてだけど29歳時)、そして棚橋(29歳)が達成したものだからこそ自分も、と掲げていたものらしいですね。
ちなみに他の20代でIWGPをとったのは橋本真也(28歳)、中邑真輔(23歳)、ブロック・レスナー(28歳)、そしてのちのことですがオカダ・カズチカ(24歳)で29人いる王者の内6人しかいないんですよね。

奇しくも「東京ドームで武藤戦」というのは数年前に棚橋も遭遇したシチュエーションなんですが、これを同じように乗り越えられれば棚橋と同じく新日本のエースへ・・・という期待・思惑もあったのかもしれませんが、結果は敗北。
試合後コメントでも「針を戻してしまった」なんていうワードを内藤さんが出していますけど、その針を一度は進めたのが上記の棚橋であるということを考えると、後々に自身でも自称するように「棚橋に成れなかった男」への道を歩み始めていた、のかなぁと。

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2013年 負傷欠場、ベンチからリングを見つめる

そんなほろ苦Part2で始まった2012年、内藤にとっては試練の年になりました。
後輩のオカダの凱旋帰国からのIWGP戴冠、それに挑戦するも敗北、そして膝の前十字靭帯断裂による長期欠場・・・
結果として翌年2013年の1.4はリングに上がることなく、東京ドームのベンチからリングを見つめることになるのでした。

2014年 駆け足での復帰も再びの”セミメイン”

 

試合映像

悔しい思いを噛みしめてふっきした2013年はまさに内藤さんにとっては一段飛ばしで駆け上がる”はずだった”年。
G1前に復帰し、そしてG1を優勝し一気にまっすぐに東京ドームへ、結構な大怪我からの復帰でここまでのスピードでトップ戦線に戻ってきたのはあまり類を見ないんじゃないですかね。
しかし、そんな”スピード復帰”だったからこそファンの支持が追い付かなかったか、散々語られていることではありますがG1優勝以後ファンの支持が離れ、不支持がそれを覆い隠すようになり、その結末は”ファン投票”という言い訳を用いたIWGPヘビー級のセミ降格。

2012年以降のブシロード新日本、オカダ、そしてもちろん内藤の歴史を語るうえで外すことのできない出来事ですがいずれの歴史にとっても紛れもなく汚点として残るであろう出来事。
その当日には、自分もオカダファンとして苦虫をかみつぶしたような面持ちで臨んでいましたし、それは当事者もそうだったでしょう。
試合中に肘のサポーターを投げつけて声を荒げるオカダの姿もその表れ、対して内藤は苦渋を耐え忍ぶような表情が目立つ。
その試合内容はさておき、内藤さんの東京ドーム史の中でも忘れられない試合がこの試合でしょう。

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2015年 再びの海外大物

試合映像

2014年はキャリアを通しても最大ともいえる苦難から始まり、これから長い低調の時代を迎えた内藤さん。
勿論駆け足での復帰から時がたてばコンディションや試合内容は上向いていく、しかし一度だがった評価・印象を上げるには長い長い時間が必要だったとも取れます。
そんな中で2015年のドームで組まれたのは、2014年から参戦し一気に新日本のトップの一角に食い込んだAJスタイルズ。
しかし思い起こせば、その直前の9月シリーズで当時まだIWGP王者だったAJとのタッグマッチに臨み、見事パートナーだったギャローズからフォールを奪ってたんですが、
その試合後に色々うやむやにされた結果、翌10月にその時のパートナーだった棚橋がベルトに挑戦し奪取成功し東京ドームのメインへ足を進めたなんてこともあったりします。
実際にそのことに関して内藤さんも不満を言ってたわけですけど、その不満を「そうだそうだ!」と後押しする環境がなかったのが当時の内藤さんであり、そういう悔しさを抱えながらの1.4だったわけです。

結果は失意の内、だったかは定かではないですが、敗北。
基本的にはたとえ敗北したとしてもコメントを残していた内藤さんが、この敗戦後はノーコメントで引き揚げたあたりにそのショック、失意が伺えようというもの。

 

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2016年 ドームシングル5連敗、されど得たものアリ

試合映像

そして2015年は内藤さんのレスラーキャリアにおいて、ドームのセミ降格に続く、2つ目の重要な転機になるでしょう。
2014年がコンディションが上向くも支持を好転させるきっかけがなかった年だとすれば2015年はその”きっかけ”を得た年。
そのきっかけこそ今の続くLos Ingobernables de Japon、LIJ、であり、その本格的なブームは2016年からになりますがその基礎は2015年にすでに確立されていたといっても良いでしょう。

まぁその云々かんぬんに関しては省くとして、そうしてきっかけをつかみつつもドームでのタイトルマッチのチャンスはG1に権利書戦にと逃してきた内藤さんは同じくタイトルに「あぶれた」と言っていも良い後藤さんと対戦することに。
とはいえ内藤さんにとって重要なのは良い試合をすることでも、後藤に勝つことでもなく、掴んだ好機を手放さないこと、言い換えれば”制御不能”の内藤哲也で居続けること。
結果として試合は敗戦、しかし制御不能を貫き通したことは翌年のブレイクへと繋がった、と考えられるでしょう。

 

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2017年 内藤哲也史上”最高傑作”の1.4

試合映像

2016年と2017.1.4をふくめたこの1年と少しの期間は内藤哲也というレスラーにとっては最良の時だったといっても過言ではないでしょう。
トップ勢の離脱の穴を埋める、ファンの支持を得たうえでの天下取り、悲願のIWGPヘビー戴冠、LIJブームそれらだけでも内藤哲也史を語るうえでのハイライトになる1年だったわけですが、こと内藤哲也の1.4を語る上でも2017年の1.4及びそれに至る経緯は重要と言えるでしょう。
G1後、マイケル・エルガンから奪ったIWGP ICのベルト、それをドームで争うことになったのは棚橋弘至。
奇しくも互いに言葉を駆使するレスラー同士、そして内藤の歴史としても欠かすことのできない棚橋というレスラーとの一戦、というのもあって、正直言ってメインにラインナップされたIWGPヘビーよりも事前の話題性・期待値では上を行っていたでしょう。

試合としても入場から3カウントまで、内藤と棚橋の物語の終着点、最高傑作と言っても良い試合。
しかもなんといってもこれまで5回連続で敗北していた東京ドームのシングルマッチに勝利できたということは何事にも代えがたいことでしょう。

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2018年 9年かけてたどり着いたメイン、されど三度の”ほろ苦”

試合映像

上述の通り自身でも最高の結果、”作品”となった2017年の1.4だったわけですけど、一つの想定外があったとすればその直後行われた、事前の期待値・話題性でははるかに下をいっていたはずのIWGPヘビー、オカダ対ケニーが新日本どころか世界的にも高評価を得たことでしょうか。
そしてその後、2017年はLIJブームは続き、その人気に後押しされる形で内藤は、今度は妨害されることもなく東京ドームのメインイベントにたどり着きます。
その相手は2013年に「初めての東京ドームメインイベント」になるはずだった試合の相手であるオカダ、IWGPを奪って初戴冠した相手のオカダ、初防衛ロードを終焉させたカダ。

ある意味ですべての条件がそろっていた1.4だとは思います。
観客の支持、対戦相手との因縁、前回対戦・戴冠からの期間、内藤哲也が東京ドームのメインイベントで勝利し、IWGPヘビー級を掲げるには十分すぎる状況だったとは思います、それは当時現地観戦をしていた身としても、オカダファンとしても。
しかし内藤は負け、オカダが勝った。
未だになぜこういう結末になったのかは自分の中で納得のいく結論はついていませんが、それでもその後2018年の出来事を振り返るとその敗北もあくまで新日本の潮流の中での、流れに逆らわない出来事という気もしないでもなかったりします。

とはいえ、内藤さんとそのファンとしては、2015年から始まる上昇気流の集大成の試合で”掴みたかったはずのもの”を”掴み損ねた”のは確か。
ある意味「掴むべきタイミングを掴み損ねた」ことがのちにどう影響を及ぼすのかはまだ判断しかねる段階ではありますが、
結果として先日公表された週刊プロレスのレスラー名鑑の表紙から落選してしまったのも一つの事実ではあります。

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そして2019年 内藤哲也はクリス・ジェリコに勝てるのか?(所感雑感に代えて)

なんとなく湿っぽくなってしまいましたけども内藤さんの東京ドームでの総合成績は2勝7敗、シングルに限れば1勝6敗になります。
こういうことを考えると以前纏めた棚橋のドームでの戦績なんかを考えると東京ドームは内藤さんにとって圧倒的にゲンの悪い場所と言えます。
しかも今回のクリス・ジェリコ戦のような「外国人選手」との「シングルマッチ」に限れば0勝2敗とこれまで勝ちなしであります。

そういうジンクス、ゲンを考えると如何せん勝てそうな予感が減衰していくわけですが果たしてどうなるやら。
まぁ似たような状況でもある対武藤や対ジェフ・ハーディと違って今年すでに1試合対戦していてそこで負けている(武藤、ハーディはぶっつけ本番)ていうのは有利に働くか否か・・・

きょうはこれまで、それでは

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