さて、9月シリーズDestructionもいくつかの地方大会と最後の神戸大会を残すのみとなっています。
これまでいろいろな切り口で盛り上がっていたわけですが、オカダファンの自分としてはそのメインテーマとして捕えていたのは棚橋オカダのIWGPヘビー級挑戦権利書戦に端を発するCHAOSのお家騒動。
広島大会まではどちらかというと棚橋オカダ吉橋の三角関係だーと界隈では萌え上がっていたわけですが、それがジェイ・ホワイトが合流したことで俄かに毛色を変えてきた印象がありますね。
果たして神戸でこの騒動に決着がつくのか、どう決着がつくのか、CHAOSは分解してしまうのか、などなど未確定な部分が多々ありますが、少なくともCHAOSというユニットの一つの歴史が終わるという感じはヒシヒシしています。
ということで今回はCHAOSというユニットについて、3つの時代に分けて振り返ってみたいと思います。
【2020/3/16 追記】
NJPWTogetherプロジェクトの一環でCHAOSの歴史についてのまとめが投稿されたのでこちらもご参考に
2009~2011年 中邑真輔の時代
(新日本プロレス公式サイトより引用)
CHAOSというユニットが誕生したのは2009年4月5日のこと。
当時バリバリのヒールであったGBH、それを率いるトップヒールの真壁と、当時一足早く「ヒールでもベビーでもない」ユニットRISEを結成していた中邑の一戦。
言ってみればわかりやすいヒール対ベビー、勧善懲悪、エリート対雑草の試合ではあったんですがその試合終盤、真壁の援護に来たかと思われた矢野が真壁を裏切り中邑の援護。
これによってGBHは今に至る真壁・本間の二人だけのGBHと化し、ほとんどのメンバーがそのまま中邑側につき、新たにヒールユニット・CHAOSが誕生しました。
自分は実際この時代をリアルタイムで観戦していたわけではないので、その当時の空気感こそわからないので憶測になりますが、
当時の王者はその後絶対的ベビーフェイスとして君臨する棚橋、そして間もなく真壁も雑草としてのキャリアとマイクの巧さから一気にベビーフェイスとして花開きます。
言ってみればそれまでヒールとして棚橋の対角戦に立っていた真壁に代わり、中邑がその立場に立つようになった形。
後に中邑自身がインタビューなどで語るように当時のCHAOSは、GBHからの合流者が多かったのもあって「武闘派ヒール軍団」であり、プロレスの明るさ・楽しさを標榜する棚橋の真逆をいく集団であったのは確かなんですよね。
実際にはその直後、棚橋が負傷欠場に入り、中邑や真壁がベルトを持ち外敵などと抗争する場面も多かったわけですが、
満を持して外敵・小島(奇しくも棚橋不在を支えた真壁・中邑を倒している)からベルトを奪取した棚橋は今年オカダに破られるまで最多記録だったV11を達成することになります。
まさに「絶対的ベビーフェイス・棚橋弘至」の全盛期、その防衛ロードにおいて2度も(2011年5月3日V3戦、2011年9月19日V7戦)中邑との対戦があるのは王者・棚橋というものに対して中邑が重要であったことの証明でしょう。
そういう意味でこの第1期CHAOS、そしてこの時期の中邑は絶対王者・棚橋に向かい合うために存在していた時期、かもしれません。
2012~2015年 中邑とオカダの時代
(新日本プロレス公式サイトより引用)
そのCHAOSのユニットとしての性質が大きく変化したのが2012年。
何を隠そう1.4東京ドームでオカダ・カズチカが凱旋帰国、そのバックステージで外道によってCHAOS入りが発表され、そのメイン後に棚橋へ挑戦表明、翌2月のビッグマッチにおいて一発でIWGPヘビー級を奪取、俗にレインメーカーショックと呼ばれる出来事ですね。
その後オカダは棚橋と抗争を続けながらIWGPヘビー級を争う、つまりは新日本の中心を争う闘いに身を投じていくわけです。
その一方でそれまで棚橋の対角線に立っていた中邑にはIWGP ICのベルトが渡っていました。
当時の回想として「このベルトで満足しておけ、ってことかと感じた」なんて中邑は語っていましたが、当時のICはまさに「何のためにあるのかわからないベルト」であり名前だけのIWGPベルトだったわけです。
本来であれば腐っても仕方がないそんな状況で、中邑はあえて自由になることで逆に存在感を増しました。
本来は瞬発力を生むリラックスのためだった“クネクネ”のパフォーマンスが過激になり、マイクも感情のままに、試合も理路整然としたものから感性に任せたものに・・・
最初は「気持ち悪い」という反応が得られていたものが次第に観客に受け入れられ、それどころかカリスマ的な人気を誇るようになるのだからプロレスは先が読めないもの。
皮肉なことに新日本の中心から外されたことで中邑真輔は唯一無二の存在へ進化したという。
そんなこんなで、まさに王道を行く次世代のスター・オカダと邪道ながら芸術的ですらある中邑、この両巨頭を擁することでCHAOSはまさに黄金期を迎えます。
IWGPヘビーはオカダ、IWGP ICは中邑の所有物、という様な瞬間も多々あったような時期。
この当時、CHAOSはすでに「棚橋の対角に立つ悪役集団」などではなく、「新日本を牽引するトップ集団」と言っても過言ではないものになっていました。
隠れた実力者であり新日本一のバチバチファイトを繰り広げる石井が覚醒し、かつて極悪非道だった矢野がコミカルな敏腕プロデューサーに化したのもこの時期でしたね。
2016~2018年 オカダ・カズチカの時代
(新日本プロレス公式サイトより引用)
蜜月は永遠には続かない。
オカダ中邑のCHAOS、というよりは棚橋オカダ中邑の「奇跡の3本柱」とも呼ばれた新日本10年代前半の体制が崩れたのは2016年1月5日。
3本柱の1人であった中邑に加え、トップ外国人であったAJスタイルズ、タッグ戦線を支えていたカール・アンダーソン、ドク・ギャローズの4人がそろって米国・WWEに移籍することが分かった。
これはCHAOSにとっても、もしかするとそれ以上に新日本にとって痛すぎる痛手だった、それは会社にとってもファンにとっても。
いまでもそれが判明してからの数か月間の暗澹たる気持ちが思い出されます。
しかしそれでも大会は続く、物語は続いていかないといけない。
だがこの年の1月4日でそれまで絶対的ベビーフェイスだった棚橋は、”敵役ではない”オカダに敗れ、「敵を迎え撃つ」役割はオカダに移った。
だからこそオカダは、棚橋とはまた違う「絶対王者」になり、新たに頭角を現しつつあった新鋭の壁になった。
それはLos Ingobernables de Japonの旋風に乗った内藤哲也であり、世界に轟くBest Baut Machineになるケニー・オメガでもあった。
無論、内藤さんやケニーの物語あればこそ、という部分はあったけども、その躍進を支えた、踏み台になったのはどんな相手にでも対応でき、迎え撃つことができ、そして乗り越えることで多大なカタルシスを得られる壁としての役割を全うしたオカダあってこそだったように思える。
そういう意味で中邑・オカダ期で中心に座ったCHAOSはこのオカダ期において再び対角線に戻った。
新たな時代の到来を告げる新鋭たちに立ちはだかる壁として彼らの対角戦に立ったといえる。
そしてこれから
(新日本プロレス公式サイトより引用)
そして現在、オカダはIWGPヘビー級にいて新記録となるV12を達成したのちにケニーにベルトを奪われた。
ある意味で2016年以降に現れた新鋭2人共に乗り越えられた形になったわけで、物語は次のステージに移ったといえる。
奇しくも現在CHAOSでは、2012年以降のCHAOSの雰囲気を形成したともいえるオカダと吉橋の間に亀裂が走り、2018年にオカダが勧誘したとはいえ常に不穏な空気をまき散らすジェイ・ホワイトが暗躍する。
何が変わるのか、何も変わらないのか、答えは9.23神戸にて明らかになる、かもしれない。
所感雑感
というわけでシャワー浴びててふと思いついたので中邑期、中邑オカダ期、オカダ期という分け方で見たCHAOS史でした。
奇しくも3年/4年/3年と同じくらいの期間なので何となくまとまりがよかったのでこうして捉えるとすっきりするかなぁと。
いずれにしたって、何も起きないっていう可能性も大いにあるんだけど、何かが起きると思ってた方が楽しいし、そう思うならこれまでの経緯を知っておいた方がなお変化が楽しいので皆さんもぜひ振り返りましょう。
今日はこれまで、それでは。