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2012,2016そして2019年の”新時代”の始まりを振り返る

先日、2011年から始まったNEW BEGINNINGシリーズについてまとめましたが、このシリーズは単純に「新年最初のシリーズ」という意味だけではなく時には、ファンにとって全く新しい光景を見せ始める契機になる大会でもあります。
ファンとしては毎年のようにそれを望んで大会に臨んでいるとは思います、もちろん毎年のように大激震するわけでなく「なぁんだ」という感想になるときもあるわけですが、
少なくともこうして振り返ったときに”ショック”と名付けられるような出来事は起こり、そして2019年もまた現状では「あれはスウィッチブレイド”ショック”だ」と称されているような大会でした。
正直に言えば果たして2019.2.11が後の歴史にもショックとして語り継がれるかどうかはそれこそ今後次第とは思いますが、今回はそんな過去にも起きた2月の事件について振り返りつつ、今年の事件と比較していきたいと思います。 

 

2012年 レインメーカー・ショック

(新日本プロレス公式サイトより引用)

(試合映像)

まず初めに当時から、そして今でも”レインメーカーショック”として語り継がれる2012年の出来事とその後の顛末まで紹介。
2012年1月4日に2年間の海外遠征から帰国してきたオカダ・カズチカがその大会のメインイベントで当時IWGPヘビー級の連続防衛新記録V11を達成した棚橋へ挑戦表明。
その時には、凱旋試合も酷いものだったのもあってブーイングの嵐、実際の2月のタイトルマッチに至っても観客の目は懐疑的といった感じでした。
しかし顔面を蹴りつけるドロップキックや瞬発力に持久力に、試合が進むにつれ次第に客席も実況席も「もしや・・・」という空気を漂わせていき、最終的には棚橋が一回転するほどの威力のレインメーカーでの勝利に観客のカウントも「1、2、…うおーっ!」というように驚きの声が占めていました。
誰もがオカダの勝利に懐疑的だった、しかし試合中にその評価を覆した上での戴冠劇だったからこそ「ショック」の名前が付けられる出来事だったわけです。

で、その後のオカダは当時虎視眈々と棚橋のベルトを狙っていた新進気鋭の選手、内藤と後藤に対して防衛を重ねます。
当時を語る言葉として、IWGPの戴冠時点では「棚橋がオカダの良さを引き出しただけでは?」という言葉もあったのを、相手を内藤や後藤に変えても大阪での一戦に引けを取らない試合を見せつけたからこそ、後にいうような「本物」とファンにも認められた部分はあったと思います。
特に後藤戦でのドロップキックの決まり具合から「オカダ=ドロップキック」という印象がついたような記憶もあります。
その後6月の大阪大会で棚橋とのリマッチに敗れベルトを手放し、オカダの始めた「新時代」については一旦の終わりとなりました。

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2016年 クリーナー・ショック?

同じくショッキングな出来事としてあげたいのは2016年のこと、耳にタコかもしれませんがAJを始め幾人ものトップ選手が退団したことで大きく選手層と光景が変わった年。
後になってみるとこの年のトピックになる出来事は4月の両国での内藤さんのIWGP戴冠、そして8月G1でのケニー・オメガの外国人として初の優勝にあると思います。
しかしその一方で、上記の2012年のレインメーカーショックと同じようにNEW BEGINNINGにおいて新王者が誕生しているわけです

新日本プロレス公式サイトより引用

その選手はもちろんケニー・オメガ、1.5で退団が判明したAJを追い出す形でBULLET CLUBのニューリーダーに名乗りを上げ、同時に中邑に対して宣戦布告をすることでヘビー級転向も宣言。
しかしケニーにとって都合が悪かったのはこの中邑もまた退団予定だということ、次回のビッグマッチが2月ということもあって宣戦布告は宙に浮き、中邑は退団を機に王座を返上することになり、ケニーは新王者決定戦に参加することに。
そして中邑の壮行試合が行われる1月末日までもう一人の挑戦者が中々明かされなかったことで、その王者決定戦への注目度が下がってしまった部分はあります。
そして対戦することになったのは奇しくも2012年のオカダの場合と同じ棚橋、今思えばここでの対戦が2019年1.4に続く因縁の始まりではあったんですがそこはまた別の話。
こんな経緯もあってファンも実況陣も中邑の意思を継ぐ棚橋への応援ムード、ケニーはヒールに徹するような状況にもなり、試合後も「ケニーが勝った」ではなくまさかの「”中邑”が負けた」と言われる始末。
そういう意味でケニーの勝利自体への印象が薄れる状況にあったのは確かなんですよね。

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そして加えることに運が悪かったのはその後の防衛戦。
取ったベルトがICであり、IWGPヘビー戦線で内藤の躍進があったのもあってその陰に隠れ、初防衛線となったエルガン戦も熊本での開催予定が震災の影響で急遽小規模会場である博多スターレーンでの開催になるアクシデント。
その後、6月大阪において棚橋とのリマッチが決まるものの棚橋の肩の負傷によってキャンセルされ、エルガンとの再戦に。
短期間での再選を忌避する傾向のある新日本において、こういった事象がネガティブな印象になってしまうのは致し方がない部分ではあります。

そういうでわけで、戴冠のシチュエーションについても、その後の防衛戦についても、何か憑いてるんじゃないかっていうぐらいにハプニング尽くしだったわけで、それがあまりいい意味での”ショック”として記憶に残っていない原因かもしれません。
とはいえ、ご存知の方もいるかもしれませんが大阪城でのエルガンとのラダーマッチは大白熱した熱戦となり、カクトウログさんのアンケートで大会ベストバウトを記録していたりします。

 

 

2019年 スイッチブレイド・ショック?

(新日本プロレス公式サイトより引用)

というわけで2019年についてこれまでの似たような前例2件と比較をしていきましょう。
とはいえ現状では「戴冠したシチュエーション」の比較のみになりますが、いずれにしても相手が棚橋ってあたりどうしても意識しちゃう部分ではあります。
今回のジェイの挑戦については、ジェイが1.4で現在の最多防衛記録を保持するオカダを、大半の観客の想定を覆して勝ったことで挑戦が決まったもの、さすがに試合後にリングに現れてマイクこそしませんでしたけど
コメントブースに現れて挑戦表明し、その後はことあるごとに襲撃するなど執拗なまでに因縁を構築してきました、というか前年のG1から結構因縁は続いていますし。
そういう意味でこの試合に至るシチュエーションとしては、対立構造は2012年の場合と同じくバッチリという感じですね。

そしてショックというか反響という面では大阪大会のツイート解析で見た通り、前年と比較してもかなりツイート数が増えており、議論を巻き起こすという意味で反響があったようで。
そして試合の映像を見ても観客の最後のカウントも「1、2、…うおーっ!」というやつなんですよね、そういう意味でショックといえばショックだったことは間違いないでしょう。

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しかしある意味で問題は今後、必要なのはこの後の防衛戦でその実力を知らしめること、だと思います。
とはいえジェイはすでに1年間新日本のリングで試合を重ね、その試合スタイルも浸透し、マッチョアピールでブーイングが湧くほどの浸透具合。
そういう意味でキャラクターとして浸透しているのは確かですが、今後は一ヒールだけでなく+王者としてどういう試合を見せるのか、「ヒール王者としてのジェイ・ホワイト」を見せていく必要があるとは思います。
そういう意味だとどんどん防衛線を重ねていく方がいいとは思うんですが残念ながら?時期防衛戦は4月のMSGで確定のようで。
2016年の場合の欠点が2月からどんたくまでの間で防衛戦が組まれず印象が薄れたところだとは思うので、それよりはマシ、とはいえ旗揚げ+NJCのシリーズ不在なのはそういった印象の薄れにつながりかねなくて心配ではあります。
いずれにしてもそのMSGという大舞台でどんな試合をどんな相手と見せるのかは非常に重要って感じですね、2012年のケースを見ると実力が周知されている+未戴冠選手がよさそうではありますがはたして

 

所感雑感

というわけで簡単にですが、レインメーカー、クリーナーそしてスイッチブレイド・ショックについて振り返りでした。
まぁぶっちゃけ今のところ「レインメーカー・ショック」の二匹目のどじょうを狙って成功した例がないという話なんですけどね。
人って「まるで○○みたいだぁ」と思い始めるとその前例との相違点ばかり気になってしまって、かといって一緒すぎると二番煎じという言葉もありますし印象が良くないという。
そういう意味だとジェイはセコンドに外道っていう時点で2012年のオカダさんと重ねて見る目は多いと思うんですが、そこはそもそもの試合スタイルの違いもありますけど外道さん自体も試合に介入していくスタイル、そしてマイクを代行しないことで差別化してるのかなぁと思ったり。
そもそも1.4での対戦だってジェイとオカダの境遇で似ている部分と異なっている部分を浮き彫りにするために必要だった、というようにも考えられて、興味深いですね。

きょうはこれまで、それでは


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