プロレス統計

「プロレスの数字とプロレスする」をテーマにプロレスに関連する数字を調べ、まとめ、考えるブログです。

MENU

新日本の売上高推移で見る新日本プロレスの近代史

KIZUNAロードも終わってG1開幕までの”興行の谷”に突入した昨今皆様いかがお過ごしでしょうか。
何を隠そう自分は先日の大海賊祭りの1日目、金でなくガチ雨の降った大海賊プロレスを見に行ってました。
いやぁ凄かったなぁ…あの雨と人、普段の後楽園とかの快適さたるやと思い知った次第です。
メインのみのる対オカダが始まるまでは雨の中スマホでちまちま写真を撮ったりもしたんですけどメインはそれもすっかり忘れて見入ってました。

まぁその感想はまた今度、機会があればちゃんと書くとして、今回は以下記事について。

headlines.yahoo.co.jp

プロレス関係でYahooに乗る記事といえば東スポかデイリーか、ってところですがこちらはあまりなじみのない東京商工リサーチさんの記事、時期的にはメイ新社長就任を踏まえて企業としての新日本プロレスに注目した記事ってことですね。

見てわかるように6月の初めに投稿された記事なんですが、この記事では1980年から2017年までの新日本の売り上げ推移が載ってるんですよね。

最近でいうとブシロード体制になってからの情報はちょくちょく見かけたり、「nWoJAPANの時に最高益を・・・」なんて言葉の情報はあったんですが如何せん具体的なデータっていうのはあまり見かけた覚えがなくてなかなか興味深いんですよね。

f:id:Rodyonsw:20180601191805p:plain

(引用元:東京商工リサーチ)

そして何を隠そうこういうデータを見るのが結構好きなので今回はこのデータを眺めつつ、その当時の新日本に何が起きていたのか、について簡単に振り返りです。

 

1981~1984:初代タイガーマスクと長州力の登場、そして退場

f:id:Rodyonsw:20180626072844p:plain

これ以降は上記の画像のうち一部(各画像オレンジで示した部分)について起きたことを調べていきます。
新日本プロレスは1972年に旗揚げしますが、データがあるのは1980年から。
1970年代はいわゆるアントニオ猪木の異種格闘技戦がヒットし、一時代を築いていたころですね。

続く1980年代は猪木の次の世代が活躍し始める時代で、1981年には初代タイガーマスクが鮮烈のデビュー、1982年には藤波対長州の名勝負数え歌がスタート。
こうした新世代・新スターの登場によってか売り上げも右肩上がりで83年には20億超の売り上げを記録。

しかし83年8月にはタイガーマスクが突如引退、84年には所謂ジャパンプロレス立ち上げに伴って長州が全日本へ主戦場を移したためか84年には大きく売り上げを落としています。

1987年 海賊男、顔面蹴撃事件、TPG事件…

f:id:Rodyonsw:20180626073148p:plain

その後いったんは安定していたのが大きく落ち込むのは1987年。
この年には”海賊男”の乱入事件、前田の蹴りによって長州が長期欠場に追い込まれた顔面襲撃事件、そして極めつけは暴動騒ぎにもなったTPG事件と事件続きの年でもありました。
それによって都内の大会場である国技館が使用不能になるなどして売り上げも大きく落ち込んだ模様、というかこんなに事件が重なってたのね・・・

1988~1998年 新日本黄金期の到来

f:id:Rodyonsw:20180627011444p:plain

その後1988年から1998年までは多少の上下はあるものの新日本は順調に業績を伸ばします。
その皮切りになったのは今も続くSuper Jrシリーズの元祖であったTop of the Super Jr.の開催、そしてその後文字通り一時代を築く闘魂三銃士の登場が挙げられますかね(1988年)
その後1999年には猪木さんが国会進出を受けて坂口社長、長州現場監督体制が確立され、
1991年には今もなおドル箱シリーズとして続くG1 CLIMAXの初開催、93年には福岡ドーム進出、さらには95年には北朝鮮での”平和の祭典”Uインターとの対抗戦と興行形態としてもビッグマッチを中心にした形態へと変化。
そして1997年には一大ブームとなるnWoJAPANが結成され、上記記事でも業績も1998年の売上高は39億3000万円とピークに達した。と紹介されるまさに黄金期を迎えることに。

2000~2005年 相次ぐ退団、格闘技路線、そして「猪木の新日本」の終焉

f:id:Rodyonsw:20180627012318p:plain

その後~2000年にかけては安定していた売り上げががくがくっと加工するのは00年代前半。
その始まりは闘魂三銃士の一人であった橋本さんが小川との「負けたら引退」試合での敗北から引退、一時は復帰をするものの最終的には新日本から解雇されることに、
それをきっかけにしたように02年には武藤さんら複数の選手・社員が全日本へ、長州さんや佐々木健介も退団とスター選手が続々と抜けることに。
03年にはそこに空いた穴を投じ一大ブームとなっていた総合格闘技との交流で補おうとするものの好転せず。

しかし何よりも大きな下降をもたらしたと思われるのは05年のユークスの子会社化、というよりも猪木さんが株式を手放したことでしょう。
詳しい数値こそわかりませんが10億円近い売り上げ減が05年に。
とはいえユークスの子会社課は05年の11月なので05年の売り上げにどれだけ影響したのかはわかりませんけど、とにもかくにもそこまで積み上げてきていたものがこの時にほとんどなくなってしまったのは確かでしょう。

2006~2011年 ユークス新日本、小安定期

f:id:Rodyonsw:20180626074005p:plain

ユークス体制への移行後は右肩下がりではあるもののある意味で安定期に突入。
後に出た書籍によるとこの間に内部の財務の健全化をかなり行ったとかなんとか。
それによって売り上げが好転こそしないものの00年代前半のような急降下は停止、ある意味での安定状態になっています。

2012年~ ブシロード新日本、V字回復

f:id:Rodyonsw:20180626074050p:plain

そして2012年にはブシロード体制へと移行。
2012年のG1時には1億規模の広告を打った、なんて話もあったり、「流行っている感を出すのが大事」という言葉も木谷オーナーからあったように積極的にメディア戦略を展開したこともあってか業績は一転急上昇。
しかも恐るべきことにここでの数値では12年以降今までにない勢いで売り上げが回復し、18年には過去最高売り上げだった1998年を上回るとか。

思えば98年の新日本は所謂ドームプロレスと形容される大会場でのビッグマッチを何度も開催、さらにはnWoグッズが大いに売れていたことが最高収益に貢献したらしいですけど、
今も複数ビッグマッチ制によって大会場での試合数が増え、BULLET CLUBやLIJといった人気ユニットの誕生とその当時に似た状況にあるといえるかもしれません。
さらに言えば現在はネット配信や海外市場なんかへの進出を果たしているのでそれによる増収っていうのもあるのかな。

 

所感雑感

というわけで1か月前の記事の図一つをしゃぶりつくしました。
こうしてみると2000年代は新日本にとってはまさに「失われた10年」って感じありますね。
ある意味で今の急成長はその失われた10年を5年で取り戻し、元の水準までようやく戻った、なんて見方もできるんですかね?

f:id:Rodyonsw:20180627014319p:plain

イメージ図

というわけでまぁ簡単にですが売り上げ推移と新日本での主な出来事の対応でした。
その実自分がプロレス見始めたのも12年からなので歴史のほとんどを知らないわけですが、もっと詳しい人がいたら解説してくれるとありがたいですね。

きょうはこれまで、それでは


プロレスランキング