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”Togethr”の対極として思い出す”巌流島”・無観客試合

【3/10 追記あり】

プロレスファンのみならず多くのジャンルにおいてリアルイベントの中止が引き起こされた昨今、なんか今度は学校も早めの春休みに・・・なんて話も見かけてこりゃ大ごとだ…という実感を強める日々です。

とはいえ、大事な事態にただただ「大変だぁ・・・」と実感するだけでは気が滅入るわけで、「プロレスを見たい気持ち貯金*1」もいいけれど、やはり代替物が欲しいと思うのが人のサガ。
それを汲んでか、もろもろの中止が宣言されてからものの2日で下記の通り公式も行動を開始した模様。

”Together”というと、プロレス的には2011年の東日本大震災の際に開催されたオールスター興行ALL TOGETHERを思い出すんですが、あの時も諸々あって「自粛」という言葉をよく見た時期、それに滅入らず頑張ろう(生活も趣味も)という意図もあったりするんですかね。

まぁそれ以外でいうと個人的にはこの発表に先んじて呟かれた木谷会長発言(該当ツイートに飛びます)への反論という感じもするんですよね。
ありていに言えば「観客を入れられないなら無観客でやればいい」ということだったんですが(詳しくは木谷氏のツイートを見てください)、実際同じくブシロードグループに参入したSTARDOMは無観客試合の開催をいち早く決定していたので、新日本もそれに倣ってはどうか?という提言だったんでしょう。

まぁその是非については個々人にあり、果たしてこれを受けて新日本プロレス側がどう受け取ったのかはわかりませんが、
上述のプロジェクトに、Together(共に、一緒に)という観客のいない孤独なリングともいえる無観客試合と対極なワードを掲げた辺り、そこに返答が込められているような気はします。

とはいえこれも良い機会だとは思うので今回は過去に新日本プロレスで行われた無観客試合について3件振り返っていきたいと思います。

 

1987年10月3日 アントニオ猪木vsマサ斎藤

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文字通り伝説の一戦だった’87巌流島の死闘(1987.10.4)

(デイリーまとめから引用)

上述の会長のツイートでは無観客試合の代表例のように使われたワードが”巌流島”
世間一般的に言えば宮本武蔵と佐々木小次郎の一騎打ちが行われた島の名前として有名ですが、プロレス界ではそこに加えて、その伝説になぞらえて同名の島において同様の一騎打ちが行われたこともよく知られています。
時は1987年、まさしく「一寸先はハプニング」を地で行くような波乱万丈に満ちた時期の新日本プロレスにおいてはこの一戦に先駆けて大阪城ホールでの猪木vs斎藤線の最中に謎の海賊男の乱入があったり、この後にはたけしプロレス軍団の乱入によって暴動沙汰が起きたりしたいます。
また同時にこの年は今にも続くIWGPがヘビー級王座として確立された、そんな黎明期とも言える時期ですね。

上述のアントニオ猪木vsマサ斎藤での乱入を踏まえてか、または完全決着をつけるためか、両者は決着戦の場を巌流島に決定し、時間無制限、ノールールそして無観客試合での決着戦を行うことに。
その結果試合時間は2時間5分14秒(!)、裸締めによって猪木のTKO勝利に終わったとか。
というわけで新日本プロレスにおける最初の「無観客試合」は孤独な、因縁渦巻く中で組まれたようです。

1991年12月18日 馳浩vsタイガー・ジェット・シン

上述の「最初の」巌流島対決については私も知っていたんですが、実はその4年後にも同所・同ルールで対決が行われていたらしい(Wikipedia見て初めて知った)。
そのカードは馳浩vsタイガー・ジェット・シン、上記ソースによると猪木vsシンの一戦が予定されているところに馳選手が猪木の挑戦者として立候補、結果的に猪木への挑戦権をかけての試合に。
こちらの試合については映像も全く見たことがないので様子はわからないんですが、こちらも長期戦となり1時間11分24秒で、裏投げによる馳のKO勝ちになったようです。
挑戦権争奪戦はいまでも珍しくはない試合ではありますが、なんでこの二人で巌流島マッチをやることになったのかはちょっと謎ですね・・・

2004年3月28日 棚橋弘至vs村上和成

上述のような新日本プロレス史に残る試合もあるのでその時代を知るファンが「やってみたらおもしろいんじゃ?」と思うのはまぁ自然な流れな気もするんですけど、その一方で「無観客試合」と言った時にここ10数年を新日本と共に過ごしたファンの脳裏には2004年3月28日に行われた棚橋弘至vs村上和成の方が浮かぶことでしょう。
当時の観戦記はちょっと見つからなかったんですが、2009年に棚橋自身がコラムでその当時を振り返ったらしく、それにかこつけて多重ロマンチックさんが当時の様子について振り返っています*2
またもちろん新日本プロレスワールドには試合映像はないんですが海外の動画サイトに違法に上がっているものはあったのでご報告までに。

当時抗争状態にあった棚橋と村上、特に村上はヒール集団である魔界倶楽部に所属していたこともあり乱入介入もおおかったでしょう(多分)
そういった邪魔が入らない状況での遺恨決着戦として金網デスマッチが考案、されたまでは何となくわかるんですがそこに加えてノーピープル、無観客試合まで加わるとは。
試合映像は同時刻に大会が開催されていた両国で流されていたそうですが果たしてどういう空気だったんだろうか・・・
試合自体は、村上との抗争中というのもあってか棚橋も鬼気迫る様子、ではあるんですがやはり乗り切らないというか不思議なものを見た感じが残る。

まぁ因縁決着戦としてのシチュエーションとしては良いものがあるんだろうなぁとも思うんですが、上述の振り返りでも試合を行った棚橋自身が後悔尽くしだったところを見ると、選手個人のファンとしては「それでも無観客でやるべき!」とは言い難いんではなかろうか。
奇しくも、この試合を経た棚橋選手がその2年後の東京ドームで「リング上はもっと孤独な場所だと思っていました」と発言していて*3、その”孤独”ってやっぱり・・・と思わざるを得ない。

【3/10追記】まさかの公式配信

まさかNJPWTogetherプロジェクトの一環で上述の3試合が全部新日本プロレスワールドで配信されるとは…
これを機にみんなも巌流島、見よう。

 

所感雑感

というわけで無観客試合について振り返りでした。
まぁ今回は表題の通り”Together”の対極として振り替えってみたわけですけど、1991年の一戦は本当に色々事情がわからないんで定かではないんですけど、因縁決着の殺伐とした雰囲気こそあれ、協力や共同といった「力を合わせる」的な雰囲気からは本当に程遠いよな、と思う限りです。
これをもって何かが言えるわけではないですけど、少なくとも方向性の違いを感じるという話。
まぁ実際オーナーが「こういうタイミングこそエンタメ業界は何かをすべき!」と息巻いたのは納得しますし、そういう大枠での方向性は一緒ではあるんですけど、その方法論が違うというか。

ちなみに、上述のオーナーのツイートが結構反響があったのもあってかすぐさま東京スポーツが新日本の選手にこのことに関する言質もといコメントを獲りに行っているんですが、
オカダ・カズチカ選手は「お客さんあってのプロレス」と大前提をしておいて「やれと言われればできますけど、それが果たして(見た人が)満足するものになるのかなというのは思います。」とノリ気でないコメント*4
オカダさんに関しては「いくらいい試合をしても数人しか見ていなかったらやってられない」という大観衆への拘りも言ってた[要出典]りしたので反対派になるのは道理か。
同じく取材を受けた内藤哲也選手は「最高の空間というのはリング上のレスラーだけでつくるものではなく、会場のお客さまと一体になってつくるもの。」と前置きしつつも「経験したことのないこと(無観客試合)を100%は否定しません」という慎重なコメント*5
いつぞやは木谷オーナーの発言にかなり噛みつきまくっていた気がするんですけど結構そこに配慮したコメントなのは意外な感じもしますけど、その後何かしらの心境の変化があったのか、それとも実は一回はやってみたかったとかそういう・・・

最後に個人的印象でいえば、まぁ木谷オーナーの言わんとすることもわからんではないものの、オカダ内藤らのような選手(しかも行う場合は一番やることになりそうな選手)側の意見の方を支持しちゃうかなぁと。
まぁ単純に現在の新日本が一つの因縁が決着したタイミングで因縁決着!みたいな気分になれないだけかもしれないので、ちょうどそういう抗争があるところはそれで見てみたい気も。
いずれにしろやると決められたのだからTogetherプロジェクトも第2,3弾とやっていってほしいところです、金曜8時ごろのワンダーランドも復活していいんやで?(2017年末を最後に止まっているのだ)

きょうはこれまで、それでは