プロレス統計

「プロレスの数字とプロレスする」をテーマにプロレスに関連する数字を調べ、まとめ、考えるブログです。

MENU

新日本プロレスでの両国国技館開催ジュニアイベントを振り返る

次期シリーズに向けていろいろと期待感を高めている心地のする4月、パッと見渡した感じで結構話題にされているのはBest of the Super Jr.の参戦選手についてですかね。

上述のツイートのように4.23で出場メンバー発表があるわけですが、どちらかというとそれに先んじてLINEチケットが優勝決定戦のチケット発売開始に先駆けて公開したキービジュアルに19人の選手が載ってて「これネタバレでは?」となっている方が近い気もします。
勿論、1リーグ戦でない限り参戦選手は偶数になるはずなのですくなくともあの19人がフルメンバーということはないでしょう。
それもあって残り一人を予想したり、はたまたもっと出場する、いやもっと少ないのでは、と色々予測されてるようです。
まぁ出場選手数は日程と開催形式に大きく関係しているわけですが、それについてはお馴染みのトペスイシーダさんとこでもう考察したりしています。

tope-suicida.tokyo

トペさんとこでこういうことやったならもうやることねぇな?と思ったら記事で「独自の解析をしてくれるでしょう!」と煽られ期待されたので考え始めた次第です。
まぁ勝敗予想はさておき、出場予想なんてどうしたもんか・・・と考えていたんですが、そもそも今回のBOSJの特異な点は決勝が両国国技館という点。
得意と言いつつ過去に前例がなかったわけではないので、今回は過去に行われた「両国でのジュニアの祭典」を振り返りつつ、出場選手についてちょっと考えたいと思います。

 

Top of the Super Jr.2 1991.4.30

f:id:Rodyonsw:20190412012631p:plain

(新日本プロレスワールドより)

決勝戦

BOSJの前身となったTop of the Super Jr.(TOSJ)は1988年に初開催されますが、当時はまだ新春黄金シリーズ中の一部として行われたリーグ戦であり、その優勝決定戦も札幌中島体育センター、しかもそのセミ前に行われています。
その後数年にわたって開催がなかったわけですが、第2回が開催されたのが1991年のこと、この第2回開催でジュニアでは初となる両国国技館、そしてそのメインでの優勝決定戦が行われています。
その開催がなかった間に新日本ジュニア級にあった最も大きな出来事といえば、やはり1989年の獣神ライガーのデビューでしょう。
当時の詳しい経緯については調べきることができていませんが、このライガーのデビュー、それによるジュニアヘビー級の活発化がこの大舞台でのTOSJ開催の原動力になった部分はあると思います。

ご存知の通りこの第2回TOSJは伏兵とも言われた保永選手の優勝で幕を閉じ、ライガーは準優勝に終わります。
とはいえこうした伏兵が、判官びいきもあって決勝に進出して大歓声を浴びるという状況もライガーという大ベビーフェイス、主人公がいてこそ、という気はします。

Top of the Super Jr.3 1992.4.30

翌年も同国技館で行われたTOSJ3、残念ながら新日本プロレスワールドに映像がなくその詳細はWikipedia以上のものはわからないんですが、結果としては前年に優勝を取り逃したライガーが、その年3月に凱旋帰国した(後のタッグパートナーでもある)エル・サムライをあいてに初優勝を果たします。
ある意味去年の忘れ物をライガーが取り返した形ですかね。

SUPER J-CUP 1994.4.16

(新日本プロレス公式サイトより引用)

決勝戦試合映像

その翌々年に開催されたSUPER J-CUPは、同じくジュニア級の人気・勢いを受けて開催されたものなのは確かではありますが、大きな違いとして他団体選手にも大きく門戸を開いたものでした。
それは言い換えれば「ジュニアヘビー級」というジャンルが新日本という団体だけでなく日本国内の様々な団体で注目を受け、熱くなっていたということでもあります。
はたしてそれがライガーから波及していったものなのかそれとも逆に外部の盛り上がりを新日本が取り入れたのかはちょっとわからないんですが、いずれにしろ日本プロレス界を巻き込んだイベントでした。

とはいえ歴史的にはこのJ-CUPの開催・成功に欠かせないのは音頭を取ったライガーの存在(そして他団体に詳しかった奥さんの存在)なのは確かだと思います。
ちなみにこの年からTOSJが現BOSJに名前を変えて開催されています、J-CUPが4月でBOSJが6月なので結構近い。

Best of the Super Jr. 26 2019.6.5

結果としてBOSJ26は新日本プロレスのジュニアヘビー級関連イベントとしては実に25年ぶりの両国国技館開催となります。
(一応その後の第2,3回SUPER J-CUPも両国開催なのでそこから数えると19年ぶり)
つまりはBOSJの形になってからは初めての開催でもあります。

こうして過去に行われた3回の両国大会を振り返ってみると、いずれもキーパーソンと言えるのは獣神サンダーライガーでした。
その意味合いはそれぞれ異なれど、ライガーという「新日本ジュニアの圧倒的主人公」がいたからこそ「ジュニア選手のみの大会」という縛りがあっても両国国技館という国内有数の大会場での開催に踏み切れたのではないかと考えます。

それを今回のBOSJ両国に当てはめるなら同じように現「新日本ジュニアの圧倒的主人公」がいるはずで、その一番の候補はなんとうってもやはり髙橋ヒロムでしょう。
実際の出場にはケガの回復具合などもあって迂闊なことは言えないものの、今回の開催にGOサインが出たのはかつてのライガーと同じ「圧倒的主人公」性がヒロムにあると会社も判断したからに他ならないと思います。
奇しくも先日のLINEチケットの告知ポスターでBOSJエントリー候補となる19名が告知されましたが、上述したように少なくとも偶数になるためにはここに1人加えるか奇数人減らさないといけないわけで。
もしここに誰かを加えるのであれば髙橋ヒロムが第一候補なのは間違いないでしょう。

 

所感雑感

というわけで過去3回の両国国技館開催のジュニアイベントでした。
TOSJ2決勝での実況を聞いてみると、辻アナと山本小鉄さんの実況でキーワードとなっていたのは「ジュニアがヘビーを超える日」というものでした。
次期どんたくシリーズではレスリングどんたく2DAYSの一日目のメインをIWGPJr選手権が務めることにもなりましたが、本当の意味で「ジュニアがヘビーを超える」のはその光景が当たり前になった日でしょう。
そういう意味で2019.6.5がその光景が当たり前になるスタート地点になる、もしくは「あの日がきっかけだったね」と振り返られる日になることを祈ってやみません。

きょうはこれまで、それでは