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挑戦権利証システムとは忌み子だったのか?

「IWGP王座挑戦権利証」とは一体何だったのか?

これまでもファンの中、特にマニアの部類に入るファンの中で度々議論されてきた話題ではありますが、ここにきて俄かにマニアよりも表層のファンの間で議論が、と言うよりも撤廃論が説かれるようになっています。

その発端となったのは二つの事件。
まず初めに11月7日に行われた今年の挑戦権利証戦において史上初めて同権利証の移動が起きたこと。
それに続いて翌日の会見において、IWGP二冠王者が1.5の権利証を行使した防衛戦の前日に前述の権利証戦に敗北した選手を指名し防衛戦を宣言したこと。
これがなぜ上述の「権利証不要論」に繋がるのかを、自分の中での整理もかねてまとめつつ、「不要論」の上がった挑戦権利証システムがほんとうに不要なのか?について少し述べたいと思います。

 

そもそもの発端:挑戦権利証の誕生

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”初代”権利証保持者にして提唱者とされるオカダ・カズチカ(&外道)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

IWGP挑戦権利証の歴史は正直に言って浅く、ブシロード体制に移行した2012年のG1で初めて誕生したものである。
そのきっかけはG1優勝を果たしたオカダ・カズチカ、のスポークスマンであった外道がそのリング上でIWGPヘビーへの挑戦表明を行い、さらにその日時と場所として2013年1月4日東京ドームを指定したことに始まる。

この提案に対して菅林社長(当時)は交換条件として「IWGPヘビー級チャンピオンと、同じリスクをしょってもらう」として挑戦権を挑戦権利証として形にし、ドーム大会まで(実際には11月大阪が最終だったけど)防衛戦を行うことを要求。
結果としてオカダは3度の防衛戦で権利証を守り抜き、宣言通り1.4のドームのメインに立ったわけです。
行ってみればG1覇者という称号を9月以降のみ存在する疑似的なタイトルとし、タイトルマッチを疑似的に増やすような施策でもありました。

翌2013年は、果たして権利証が続投するのかすら疑われていたものの*1、G1覇者・内藤はそれを受理し本格的に挑戦権利証が近代新日本プロレスにおける”システム”として作動するようになりました。
各選手にとって「年間最大規模、世界でも有数の規模のビッグイベントのメインに立つ」ことへの誘惑はすさまじく、反権力を掲げていた2017年の内藤さんですら「ドームのメインに立ちたい」というのを一番の理由に掲げて権利証を受理していたのです。

何故現在権利証システムに不要論が唱えられているのか

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権利証を”システム”たらしめた男が、その引き金を引いた

(新日本プロレス公式サイトより引用)

そうしてある種「守られてきた」権利証というシステムですが、何故今になって不要論が出たのか。
それは先日の記者会見において二冠王者内藤が「1.5で権利証保持者ジェイと、1.4でG1覇者としての飯伏と防衛戦を行う」と提案し、それが正式に受理されたからでしょう。
そもそもの話、この提案に問題があるのかどうか、ということも考えねばならないんですが、よく考えればシステムとしても特に問題はないはずなんです。

まず権利証の効力として「1.4(または1.5)東京ドームでIWGPヘビー級(及び二冠王座)に挑戦できる」というものは、ジェイ本人の「1.5で行使したい」という意見もあり、内藤及び会社もこれを容認しており、何ら権利が阻害されているわけでもありません
勿論現状では「1.5の王者が内藤ではなく飯伏に変わる」可能性もありますが、2014年の権利証でもオカダが権利証を獲得した時点の王者はAJだったのが10月の両国でタイトル移動が起き、対戦相手が当初予定(想定)していた王者・AJから別の選手・棚橋に変わるということも起きており、そういった事態を許容するシステムだったことは考えられます。

一方「1.4で飯伏と二冠戦をする」ことに関しても、それ自体は捉え方によれば特に問題はない。
単なる一防衛戦に限れば「王者が挑戦者としてふさわしいとされる実績のない挑戦者を逆指名する」という事例は腐るほどあり、直前のビッグマッチで敗北した選手だろうが何だろうが誰を指名するのかは王者の匙加減、クリエイティブ権の範囲でしょう。
更に「ドームのメインで権利証保持者以外と対戦するのはいかがか?」としても、実際2020年の1.5のIWGPヘビーオカダvsIWGP IC内藤も「権利証保持者以外との防衛戦」であり、広義でいえば同じことなんですよね(勿論ふさわしいとされない相手、ではなかったですが)。
どちらにしろ「受けて立つ王者が許可、もしくは要望した試合」が権利証を行使した試合以外に行われることも既に前例があるわけです。

その一方で議論を呼び、今回の「権利証不要論」の引き金となったのは、この防衛戦を行う上での内藤さん自身の理由づけの方にあると思われます。
内藤さんは会見でジェイの権利証の有効性を認めつつ、飯伏を指名した理由として「G1を制覇・連破したこと」を理由として挙げています(会見)。

そもそもこれまでのG1覇者と権利証の関係については、「G1覇者はIWGPとは別の最強の証であり、だからこそIWGPと並びたち、東京ドームで雌雄を決すべき」という主張から生まれた「権利保持者」と実体化した「権利」の象徴だったわけです。
これまではその二つが離れることはく、実体化した「権利」と「権利保持者」は同一だったわけで問題はなかった。
しかし今年、権利証戦で権利証は飯伏の手から離れた、つまり「権利保持者」だった者から「権利」が離れた。
これは普通の理屈でいえば「権利保持者から”権利”が離れれば、元保持者の手元に権利が残っているわけがない」わけですが、ここで内藤さんは「権利は”権利証”にもあるが、元権利保持者にもある」と主張したわけです。

つまり唯一無二のはずの「権利」が増加しているんですよ、内藤さん理論。
そんなことが許されるのか?はさておき、
もしこれを仮に認めるのであれば、例えば飯伏が負け続ければ挑戦権利保持者が延々と増え続けるという、一時期世界中に増えたNWA王者みたいな有様になる。
かつての増えすぎた「NWA王者」が何を起こしたかと言えば「NWA王者」の価値の暴落であり、これと同様に今ファンの中で増殖した権利によって「権利証」の価値権威の暴落が起きているわけです。
その表現は様々ではありますが「G1の権威を権利証は貶めかねない、と言うか貶める」というものが多いですかね。

不要論を唱える人達の中の理屈がこうとは限りませんが、私の中で可能な限り言語化した理屈がこんな感じです。

挑戦権利証システムは忌み子だったのか?

こうして俄かに不要論が出た挑戦権利証システム。
巷では「こんなものは元々要らなかった」、もしくは「G1覇者の権威を損なう」という論調も見かけます。
ここで改めて問いましょう、挑戦権利証は初めから要らない存在、忌み子だったのか?

断じて否、否なのです。
何故ならば、挑戦権利証”システム”が生まれなければ、G1覇者に元々「ドームメインに立つにふさわしいとされる権威」などなく、あの2012年8月12日のリング上で初めて提唱された概念なのだから。

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G1覇者及びその後のドームのIWGPの対戦カード

上表は1.4東京ドーム大会、レッスルキングダムが定期開催になった2007年の前に行われたG1(つまり2006年大会)から、権利証が作成される前の最後の大会になった2011年大会までのG1覇者と覇者のIWGP挑戦会場および日付、そしてその後ドームでIWGPに挑戦した選手のまとめになっています。
御覧の通り、2006年以降G1覇者と言えどIWGPに挑戦できるのは翌9月の神戸や10月の両国大会であり、東京ドームでは全く異なる挑戦相手が名乗り出ていることが分かるでしょう。
ドーム前にIWGP挑戦という性質上、ドーム二王者としての出場という事例はありますがG1覇者でなおかつドームメイン(2007年ドームのメインはタッグでしたが実質メインと換算して)にコマを進められたのは2007年の棚橋のみ。
さらに言うとG1覇者で挑戦者王者を問わずにドームのメインに立ったのは棚橋、小島(2009年)、中邑(2008,2010)の3人のみ。
特に棚橋は2009年をのぞいてほぼ毎年ドームでのIWGPに挑んでおり、あまりG1制覇とドームでの挑戦に相関がないのが分かるでしょう。

乱暴な言い方ですが、少なくとも2006年~2011年、新日本プロレスがドーム興行を定期的に開催するようになってから権利証が登場するまでの間、G1覇者に「東京ドームでメインを張るに値する権威」なんて元々なく、全く異なる基準でドームでのIWGPのカード、メインカードが決まっていたわけです。
だからこそ2012年のオカダ&外道の宣言に驚きが走り、菅林社長も慎重を期してすぐOKと認めず代替条件を求め様子を見たわけです。
逆に言えば今や当然の権利とされる「G1覇者のドームメインへの出場権」は挑戦権利証システムとその保持者たちによって育てられ、守られ確立されたものなのです。

挑戦権利証システムは不要か否か

もう一度問いましょう。
挑戦権利証システムは無意味で無用な忌み子であったか?
否、断じて否。
勿論権威化に伴う弊害は多々あったが、新たな権威を創出するためのシステムであり、その権威が定着し”常識”と認識されるまでに育て上げることに成功した画期的発明だったのだと言えましょう。
そういう意味で決して「なくたって言い忌み子だった」わけではないと私は思います。

とはいえこうも言いましょう。
こうして虚勢とハッタリで築き上げ始めた権威が、9年の時を経て少なくともファンの中に疑いようのない、半ば本物の権威として信じられるようになった以上、もはや不要の長物かもしれません。
つまり挑戦権利証システムは今や不要である。
しかしそれは「存在する意味がなかった」からではなく、「その役目を遂げた」からであると、私は思っています。

とはいえ決断を下すべきは会社であり、来年のG1覇者その人だと思うので結論はまだ先でしょう。
とはいえ確かに存在し、その役目を果たしたシステムをなかったことにしてはならない、とも思います。

きょうはこれまで、それでは。

 

*1:要出典、ですが元々そんなに諸手を上げて賞賛されていたようなものではなかった記憶。とはいえ今回の主題ではないので権利証システムの是非とかは論じないことにする