2020年のプロレス界は俄かにタイトルが減ったり増えたり減らなかったりと、2010年代によく見られた複数タイトル制度が考え直されつつある感じがあります。
その発端としては新日本プロレスでのIWGPヘビー・ICの誕生、そして先日のプロレスリングノアにおける二冠戦の決定及び引き分けによる二冠未達成なんてのも起きました。
これを機にファンの間でタイトルを減らしたほうが良いのか増やしたほうが良いのか(勿論現状維持か)なんていう話がそこかしこで見られたりしています。
勿論各人意見はあるんでしょうが、複数タイトル制について支持する立場を持つ側(私もそちら側)の意見の一つとして「多くの選手に活躍の場を与える」という利点を挙げたりもしています。
とはいえそれは果たして本当か?ということも気になってはいたので、今回は実際に複数タイトルによって選手の活躍の場が増えたのか?について少し考えたいと思います。
調べたもの
今回もCagematchのデータベースから、新日本プロレスのヘビー級を対象とした3王座IWGPヘビー級・IWGPインターコンチネンタル・NEVER無差別級の3タイトルについてその王者と挑戦者を合わせてコンテンダーと定義し、それに関する数値を以下にまとめます。
各タイトルコンテンダー数推移
まず初めに各王座について1年間にタイトルを争ったコンテンダーの人数についてまとめたのが上の棒グラフ。
IWGPは1980年代から続いたタイトルですが、ICは2011年からNEVERは2012年からのスタートなので区切りの良い2010年からのデータのみを示しています。
まずIWGPヘビーについては他2王座成立前でも8~10人程度が年間コンテンダーと言ったところで、これは80~00年代に関しても同様の傾向でした。
それに対して10年代を見るとICは成立から2013年にかけてコンテンダー数が急増し、2014年にはIWGPヘビーを超えるコンテンダー数を記録。
それに1年遅れで誕生したNEVERも同様に2012年から2014年にかけてコンテンダーが増加し2014年には他2タイトルを差し置くコンテンダー数を記録しています。
これら二つのタイトルコンテンダーの増加に伴ってか2013,2014年のIWGPヘビーのコンテンダー数が減少しているのは、当時ただ単に日の当たっていない選手の活躍の場ができたというだけでなく、IWGPヘビーのコンテンダーが他のベルトのコンテンダーへと移っただけという側面もあったかと思われます。
ここで少し奇妙なところですが3タイトル制が確立したとも言える2015年になると3タイトルのいずれもがコンテンダー数が4,5人程度に減少することに。
これは言ってみれば「どのタイトルをみても決まった選手間での試合しかしていない」という状況でもあり、かなり見ていて閉塞感があったんではなかろうかとうかがえます。
そんな2015年の反動か、それとも2016年の大量離脱の影響もあってか2016年以降は3タイトル共にコンテンダー数が増加。
おおよそどのタイトルでも1タイトル制だったころと同程度のコンテンダー数を確保するようにしていることがうかがい知れます。
総コンテンダー数推移
上記のように各タイトル事のコンテンダー数については、近年はいずれも7人以上とそこそこの人数を確保していますが、冒頭の「多くの選手に活躍の機会を与える」ことができているかどうかは全体のコンテンダー数を見る必要があります。
各年について3タイトル全体でのコンテンダー数をまとめてみたものが上の棒グラフになります。
2013年にIC路線のコンテンダー数増加及びNEVERが設立されたことを受けてコンテンダー数は最大となる21人を記録しましたが、その後2015年にかけては全体のコンテンダー数は減少し、2015年には1タイトル時代とそう変わりのない11人のみが総コンテンダーとなっています。
言ってみれば2015年はかつては1タイトルを争っていたコンテンダーが3タイトルに分割されたような形になっており、そういう意味では冒頭の「多くの選手に活躍の機会を与える」ことはできていなかったと言えます。
対して2016年以降は総コンテンダー数は20人前後に増加、1タイトル時代のおよそ倍のコンテンダーが存在することになり、タイトル数の増加と比例とはいかないもののより多くの選手に活躍の機会が与えられているということが言えるかと思われます。
2020年はまだ途中なので今後はわかりませんが現状では9名がコンテンダーとなっているようです。
コンテンダー重複度
実際に各タイトルでそのようにコンテンダーが重複していたのかを調べるためのベン図が上になります(これまでのグラフと色ワケが違うので注意)。
全体で見ることもないとは思ったので大きな人員の変化があった2015/2016年を境として2012-2015年と2016-2019年についてそれぞれベン図にしています。
こうしてみると2015年以前はIWGPインターコンチにおいてインターコンチにしか挑戦していない、独自のコンテンダーが多く、
一方2016年以降はNEVER無差別級に独自コンテンダーが多いという傾向が見て取れます。
タイトルというのは御題目以上に「どんな選手が争っているのか?」がそのタイトルの色を決めると考えているので、独自コンテンダーが多いということはその時点でより独自路線を歩んでいるということが言えると思います。
コンテンダーの年齢推移
続いて実際のコンテンダーの内容を伺い知るべく、先日も用いた*1王者・挑戦者の年齢の移動平均を見てみたいと思います。
まず初めに王者年齢の移動平均を示したのがこちら。
こうしてみると3タイトルでその年齢傾向が大きく異なっていることがうかがい知れます。
まずIWGPヘビー級については2012年には35歳程度だった年齢が、2013年以降から大きく減少し30歳当たりの数値をキープしています。
このタイミングはIWGPインターコンチがスタートした時期と重なり、インターコンチの年齢はあたかも2013年までのIWGPヘビーの年齢を引き継いだかのように32歳からスタートしています。
そういう意味ではインターコンチの誕生によってそれまでIWGPヘビーを争っていた集団がより若手のヘビーとよりベテランのインターコンチに分類された部分はあるかもしれません。
それらに対してNEVERはさらに平均年齢が高く30代後半を維持しており、当初からIWGP2タイトルとは異なる集団に活躍機会を与えていたことがうかがえます。
しかし2019年ごろからインターコンチとNEVERに大きく変化が起き、インターコンチの王者の高齢化およびNEVER王者の低年齢化が同時におき、2019年にはついにそれが逆転することに。
2019年というと年始から飯伏、オスプレイ、コブと言った若手選手が立て続けにNEVER王者にもなっているのでそこでの変化が反映されているかもしれません。
いずれにしろ王者がそのタイトルの顔でもあるので年齢だけを見てもこの3タイトルは異なる色を見せていたことがうかがえます。
一方で挑戦者について同様の移動平均を見てみたものがこちらの図ですが、王者と違いおおよそ似たような年齢の挑戦者が多かったのが見て取れます。
大きく異なっていたのは2016・17年のNEVERが他2王座の挑戦者に対してかなり高齢傾向だったのがうかがえます(ちょうど2016年は柴田政権で対第3世代連戦なんてのもあったしなぁ。)
いずれにしても王者よりは各王座の独自性が見えづらい、というかあまり年齢が偏っていない、いろんな年代の選手が挑戦しているという傾向かも知れません。
一月になるのは2018年以降挑戦者の高齢化傾向がいずれのタイトルでも見られることで、これはすなわち若手のチャンスが少なかったり、新しい選手が少なかったり、という閉塞感に繋がる気もします。
最後に参考として王者年齢-挑戦者年齢の移動平均をとってみたものになります。
こうしてみるとIWGPヘビーは2012年以降年下王者vs年上挑戦者という構図がかなり続いているようです(おおよそオカダさんとかのせいな気もするが)。
一方でNEVERは変動はあるものの年上の王者に年下の挑戦者が挑む形、ICは両者の中間を振れているという感じでしょうか。
まとめ
- 近年では3タイトル制によってコンテンダー人数が1タイトル時代の2倍近くになった
- 2015年以前はインターコンチ、2016年以降はNEVERが独自路線傾向
- 各王座で王者の年齢傾向が大きく異なる
所感雑感
ということで複数タイトル制について諸考察でした。
なんだかんだと議論されている話題ではあるんですが、実際にタイトルマッチに出られるような選手が増えている傾向はあるというのが分かったのは支持派としては良かったなと言う感じ。
もちろん「タイトルマッチができる」ことが「活躍している」ことに直結するかと言われると分からないので、そこについては精査すべきなんでしょうけど。
まぁ昨今ではここにさらにUSヘビーがあったりもするのでそこについても本来はやるべきだったんでしょうけどちょっと面倒くさいし図も煩雑になるし、何よりベン図は3つまで対応なのでちょっと今回はやめておきました。
これをもって「タイトルの色分けができている」かどうかは各人の基準にも依りますが、少なくともここで紹介した数値的には色分けすなわち「役割分担」がちゃんとできているんではないかと思う次第です。
きょうはこれまで、それでは