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Road to YOSHI-HASHI初戴冠

先日、8月9日は特定層には記念日として記されることになるであろう大きな出来事がありました。
そう、「YOSHI-HASHIが初タイトルをゲットしたから、8月9日はYOSHI-HASHI記念日」という具合に。

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(新日本プロレス公式サイトより引用)

NEVER6人タッグトーナメントは実際こういう形式で争われたのは初だったんですが、なんだかんだと言いつつベルトに関連の無い見所も作りつつも、6人タッグの試合としてもかなり見ごたえがある試合が続いたんじゃないかなぁと思います。
メインも白熱しましたし、私もSHOの奮闘ぶりに胸を熱くしました(YOSHI-HASHIじゃないのかよ)

で、中継中も実況の方でその出来事の大きさについて説明がありましたが、
2008年7月6日にデビューして以来、2020年8月8日までの丸12年間タイトルを獲得したことがなく、先日のNEVER6人タッグ王座が自身の初タイトルになったわけです。
実際、大方の選手は海外遠征中に何らかの現地タイトルを獲得して凱旋したり、凱旋後1,2年でタイトルを獲得していたので、YOSHI-HASHIは新日本プロレスの近代史に燦然と輝く特異点だったわけです。

さらに注目すべきは、その12年間ただタイトルに縁がなかったというわけではなく、多くのチャンスがあったものの逃してきたということでもあります。
ということで、「記念に…」でもありませんが、そのYOSHI-HASHI初戴冠までの道のりを振り返っていきたいと思います。

 

2009年12月4日 IWGPジュニアタッグ

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降って湧いたチャンスはつかめなかった(2009.12.4)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

YOSHI-HASHI、いや、吉橋伸雄の人生初のタイトルマッチはヤングライオン時代の2009年。
本来は王者Apollo55に対し邪道外道が挑むはずだったんですが、外道がその直前に金本のキックにより脳震盪となり欠場、その代打として金本と吉橋が選ばれたという形のようですね。
流石にジュニアタッグ史に残る名チームを相手に急造タッグでは、ということで敗北はすれど中々検討した模様。

これがYOSHI-HASHIの初タイトルマッチだったわけですが、ここから数えても初戴冠までに10年かかったのか・・・と思うとそれこそ長い旅路だ・・・

2014年9月21日 IWGPタッグ

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実はレイン棒として唯一のIWGP挑戦(2014.9.21)

(新日本プロレス公式サイトより引用)(NJPWWORLD)

月日は流れに流れて2014年。
そうYOSHI-HASHI選手は海外遠征中にタイトルマッチを全く行えていなかったのだ!(一応ルーシュとのカベジェラ戦はあったみたいですが)
そして凱旋時もオカダの踏み台にされる形で中々浮上ができず気づいたら2年もたっていた…実に前回のタイトルマッチから丸5年近くである。

それはさておきこの当時はCHAOSとBULLET CLUBの抗争が本格期、この試合もオカダとアンダーソン間のIWGP挑戦権利書戦の前哨戦的な部分もありましたね。
しかし5年ぶりという溜めも、極悪非道なギャロガンタッグが相手というのもあってか「YOSHI-HASHIやったれ!」的な会場の後押しは凄い。
実際これ以降の試合でも会場における後押しを得る力自体は目を見張るシーンがちょくちょくあるんですよね。

しかしその後押しむなしく、というか逆にヒートを合うるような裕二郎の介入によってレイン棒は敗戦、この敗戦は2日後の初シングル挑戦に続きます。

2014年9月23日 NEVER無差別級

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初シングル王座挑戦の傍らには中邑と石井の姿 (2014.9.23)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

そうして2日後には自身初となるシングル王座挑戦に。
当時CHAOS裏切りたての裕二郎はR指定男の真っ最中でセクシー女性を連れて入場してたわけですが、YOSHI-HASHIの場合はその両脇を兄貴分たる中邑と石井が固める形。
中邑が何かとYOSHI-HASHIを気にかけていたのは覚えてはいるんですが、この後の歴史を見るに(そして今回の戴冠も)、YOSHI-HASHIのそばに石井がいるシチュエーションって結構多いんですよね。
今やCHAOSのなかでも最重鎮かつ少ない初期メンバーになった石井だからこそ気にかけている、なんてところはあるんですかね。
試合自体は(映像がないのがなんとも残念ですが)、介入ではなくレフェリーのブラインドを突いての金的を経ての裕二郎の勝利。
果たしてシングルを戴冠する日は何時になるか…

2016年10月8日 GHCタッグ

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当時まだ緑だったリングにレイン棒として討ち入り(2016.10.8)

(新日本プロレス公式サイトより引用)(NJPWWORLD)

またもや2年の時を経て2016年末に再びタイトルの機運が高まってきたYOSHI-HASHI。
そのリングはプロレスリング・ノア、当時CHAOSと共闘関係だったものの次期IWGPヘビーの挑戦者だった丸藤とオカダの前哨戦的意味合いの強い一戦だった気が。
その後の事を考えると「そんな時代もあったねぇ…」と遠い目になる感じもしますが、実際丸藤矢野組のコンビネーションが良かったのも事実。
ここでは丸藤がポールシフト・フロウジョンでYOSHI-HASHIを沈めることに。

2016年11月5日 IWGPタッグ

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タッグの名手と名高い石井とも挑戦 (2016.11.5)

(新日本プロレス公式サイトより引用)(NJPWWORLD)

上のGHCタッグへの挑戦から時を空かずして今度はIWGPタッグへの挑戦。
元々は10月両国で石井がGoDに対して単独で因縁を吹っ掛けたんですがそのパートナーとして抜擢したのがYOSHI-HASHIという。
そういう意味でいうとYOSHI-HASHI的には唐突な挑戦だったんですけどこれが何故か結構いい試合だったんですよね。
やっぱりタッグの名手でもある石井ちゃんの手腕もあるんだろうか・・・
この辺からも、中邑がいなくなった後も石井ちゃんが吉橋を気にかけている感じはしますね。

2017年2月27日 ROH世界選手権

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今をときめくアダム・コールとも対戦(2017.2.27)

(新日本プロレス公式サイトより引用)(NJPWWORLD)

そして翌2017年は2014年以来のシングル王座づいている年になったYOSHI-HASHI。
まぁ実際前年からG1にも出場するようになってシングルプレイヤーとしての出番も増えてはいたんですが、割と「えぇ?」という挑戦が多かったような気も。
その第一弾となるROH世界王座挑戦ですが、相手は当時新日本に上がり始めたアダム・コール、今やNXTのスターになってる選手ですけどまさかYOSHI-HASHIと試合をしているとは・・・
というかなぜこのマッチメイクだったんだ…という気もしますが新日本のROH興行は割と毎度そんな感じだった覚えがある。

2017年6月26日 NEVER無差別級

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個人的YOSHI-HASHIベストともいわれる一戦 (2017.6.26)

(新日本プロレス公式サイトより引用)(NJPWWORLD)

という感じでまぁちょっとあまり良い印象がなかったシングルプレイヤーとしてのYOSHI-HASHI選手なんですけど、この試合に関しては今でもいい試合だったな、という印象があったりします。
まぁ他の試合と何が違うかと言えばやはりシチュエーションで、リングサイドに仲間がいて、その声援を受けながら理不尽なほどキツイ相手に向かっていく、っていうシチュエーションが合っているわけです。
そういうのが合う選手もいれば合わない選手もいるのでそれこそ才能の一種で、棚橋も一時それを評価していたと思うんです。
そういうシチュエーションが一番できていたのがこの試合だったかな、とは思うのでもう一度シングルで同じ構図ができることがあれば…あと機運が良ければ…かもしれない。

2017年10月15日 IWGP USヘビー

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所謂”俺のハートは砕けたか?”事変である (2017.9.24)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

この一戦に関してはROHのリング上で行われたので日本のファンとしては試合の印象はあんまり強くないんですが、「俺のハートは砕けたか?」というキーワードであれば世のYOSHI-HASHIマニアは決して忘れることがない部分でしょう。
9月24日の神戸大会での防衛戦後、ケニーのバックステージに現れ、何故か自分が片言で挑戦表明したあのシーンは決して薄れることのない名シーンでしょう。
まぁ試合についてはよく存じないんですが、アメリカの地で敗戦しました。

 

2019年6月24日 RPWブリティッシュヘビー

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「ベルトと一緒にG1出場権もかけろ!」という無茶ブリだった (2019.6.24)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

時は流れて2019年、この年2016年から3年連続で出場していたG1に落選したことが判明したYOSHI-HASHIは発表のあった日対戦があったザックにオーバーザトップロープで勝利を奪ったことを理由に「ベルトとG1出場権を賭けろ!」という前代未聞の理不尽要求をぶつけての対戦、いやぶっちゃけいまだにこの挑戦表明はどうかと思うよ。
ザックにとっては突然降りかかった交通事故のような不幸、その鬱憤を晴らすかのように細かく細かくYOSHI-HASHIを折りたたんでの勝利。

2019年9月15日 IWGPタッグ

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石井とのタッグで2度目のGoDへの挑戦 (2019.9.15)

(新日本プロレス公式サイトより引用)(NJPWWORLD)

そのG1明けから始まったのがBULLET CLUBとの因縁、最終戦でKENTAの裏切り劇に巻き込まれたのがその発端ですが、その結果約3年ぶりの同カードの対戦が実現。
しかし試合は後のKENTAとの因縁へのToBeContinuedという感じでKENTAが出てきたことに気をとられたYOSHI-HASHIが丸め込まれての敗戦、まさしくチャンスが手から抜け落ちていったという感じ。

2019年9月28日 NEVER無差別級

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(新日本プロレス公式サイトより引用)(NJPWWORLD)

実は何かと海外勢と因縁が勃発しやすいYOSHI-HASHI選手。
先述のタッグ戦時に介入してきたKENTAに因縁をつける形での2年ぶりのNEVER挑戦。
思えばその最初に裏切った相手がYOSHI-HASHI石井で、最初は石井からNEVERを奪い、その後吉橋、そして後藤という感じにBULLET CLUB入りからCHAOS勢と戦いつつヒールとして地盤を固めていってたんですよね。
海外とあってかなりウェルカムな空気の中での挑戦だったんですが、逆にいつもと違う雰囲気に落ち着かなかった感じもちょっと見えたりしつつKENTAに敗北。

2019年10月7日 NEVER6人タッグ

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棚橋と組んでいる時期もあった(2019.10.7)

(新日本プロレス公式サイトより引用)(NJPWWORLD)

一応YOSHI-HASHI選手自体はNEVER6人タッグへの挑戦はこれ以前も2度(これ以後に1度)あるんですが、いずれもガントレット戦だったのでここでは少し省いています。
そういう意味ではこれが初めての6人タッグへの正常な挑戦となった試合。
これまでの系譜を見るとなんとも違うメンツですが、一時は棚橋とタッグを組んで色々薫陶を受けてたという話もありますね。
とはいえ急造チームで勝てるわけも…って相手も似たようなもんだったが、まぁここでも敗戦。
一応この時は「またいつかこのチームで」という話はしてましたが見事に今回のトーナメントでは別チームだったなこの3人

 

所感雑感

さらっと振り返るだけでもこの長さである、これが「デビューから12年」という歴史の重さである。
まぁ本人もだけどファンもそれこそ「待望」でしょうねぇ…
ちなみにここで挙げていないものも含めて、今回のトーナメントをタイトルマッチと数えない場合、これまで敗れに敗れたタイトルマッチ数は16試合、内タッグが10試合シングルが6試合となりました。
試合後のYOSHI-HASHIがまるで童貞を捨てた様に晴れやかだったという指摘もありましたが、ある意味デビューから12年間かかっていた「タイトル戴冠歴ナシ」という呪いが解けた部分もありますしね。
そういう意味ではこれからがようやくYOSHI-HASHIの選手としてのキャリアのスタートと言えるかもしれません。
(まぁ正直言うなら初戴冠ぐらい自分の手で獲ろうや…と思う試合だったけど)

きょうはこれまで、それでは