プロレス統計

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オカダ・カズチカと柴田勝頼の物語

最近すっかり更新が滞っておりましたが、まぁ「粗製乱造は避けよう」という方針と「次期シリーズ(NEW JAPAN CUP)に向けての情報がなかなか出てこない」というダブルパンチでどうすっかなーとなっていたわけです(年度末でなかなか忙しかったというのもありますが)。
そういう時は何か琴線に触れるものがないかと探索を続けるのみだったわけですが、先日から界隈で「リメンバー・柴田勝頼」的ムーブメントを発見。
その発信源となっていたのは92サイトー氏のプロレスの事の第100回(おめでとうございます)、「砂被りから見た柴田の事」
本題は2017年4月11日のオカダ・カズチカvs柴田勝頼について、と言いつつ実に2時間オーバーのポッドキャストでそれまでの経緯で1時間半を用いるという大作。
私は彼らほどには熱意と注目をもって追っかけていたわけではないんですけど、「そうだったそうだった」と振り返っていくのは楽しかったですね。

で、これを踏まえて「じゃあ柴田まとめ作るか!」と言っても比べるべくもないものができそうな気はしたので以前のライガーさんの時*1と同じく、「オカダvs柴田」に注目しつつまとめたいと思います。

 

2013年8月7日 ”変な試合”

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”変な試合”かつ”幻の試合” (2013.8.7)

柴田勝頼が新日本に復帰することに名たのは2012年の8月、オカダ・カズチカが”レインメーカー”として帰国したのが2012年の1月。
ということで、それぞれそれまでのキャリアこそあれ、現在にまで続く新バージョンで新日本に登場したのは同じ年だったりもします。
逆に言えば新バージョンになってからの1年は試用期間的な感じもあって、今から見るとまだ慣れていないというか動きが拙い部分も多かった時期でもあるんですけど。
そういう意味で、柴田が復帰から1年後のG1で両者が当たったこの試合は当時の印象でもぎこちない、冒頭のPodcastに出ていたワードでいえば”変な試合”だったのは記憶に残っています。
残念ながらこの試合の映像は新日本プロレスワールドにも残っていなければ各種動画サイトにも中々上がっていないので幻の一戦じみているんですけども。
正直に言えば当時はお互いに「異物同士が過ぎる”だけ”」に過ぎなかったという感じですかね。
逆に言えばオカダはオカダの、柴田は柴田の積み上げを経て(現状)生涯唯一の大一番に至った、とも。

2013年~2017年 両者は何を積み上げたのか

「レスラーはみんながみんな”アカレンジャー”を目指しがち」という言葉は確か鈴木みのるが他のレスラーを指して言った言葉だった気がしますけど[要出典]、確かに的を射ていると思った記憶があります。
誰もが主役を目指し、団体に所属するレスラーであれば王者を目指す日々を重ね、競い合うわけで。
それでも、最近は赤色が2人いるスーパー戦隊も多少出てくるようになりましたが、流石に5人全員が赤色になることもなし、やはりその席は限られているわけで。
もしその席が取れなければレスラーは、その座を虎視眈々と狙いつづけるか、それとも一旦全く別の座を目指すのかの二種類が現れるはず。
この前者はそれこそ先日二冠を獲った内藤さんでしょうけど、この後者は2013~2017年の柴田勝頼であり、彼らをその方向へ押しやることになった”アカレンジャー”はオカダだったでしょう。

”本流”たるオカダ

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「王者然とした王者」を目指したオカダ (2017.1.4)

上述した2013年の対戦の時点でオカダは既に2度目のIWGPヘビー級政権時代でしたが、その後棚橋やAJといった上の世代との戦いを経ながら王者としての経験を積み、
次はその次の世代(と言いつつオカダよりも年上だけど)の内藤やケニーの台頭を受けて、その地位を脅かされながらもそれを跳ね返す王者でもありました。
2017年4月時点では自身4度目のIWGPヘビー政権であり、その間の防衛数は11度、その中には世を騒がせたケニーとの一戦もあり。

IWGPヘビー級が新日本プロレスにおける所謂「主役」の座であることは議論の余地がないとは思いますが、その座で求められたことはビッグマッチのメインで観客を満足させて帰路につかせるようなモノを残すこと。
これが棚橋弘至であれば、試合後のマイクアピールも含めた「多幸感」ってやつでそれを達成していた部分はあるんですが、オカダはそれを試合のクオリティに求め、それを高めていったわけで。
その結果王者然とした王者、であったり、現代新日本プロレスにおける本流をあくまで進んだともいえるかと。

”傍流”たる柴田 

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世代闘争、無差別級、世界サーキット…独自路線を極めた柴田 (2016.6.19)

対する柴田も、2014年まではタイトル関連に恵まれなかったものの2015年にはIWGPタッグを後藤と獲得し、2016年にはようやくシングルタイトルであるNEVER無差別級を獲得。
個人的印象でいえばこのNEVER無差別級は「別路線用のタイトル」としてこれまでかなり有効に用いられてきたといえます。
それこそ初代王者が田中将斗ですし、その後石井が巻いたことで「バチバチ系」な印象が強くなり、現王者鷹木も存分に本領を発揮しています。
とはいえこの「バチバチ系」というのはあくまでも、現代新日本における本流から多少ズレた「別路線」に含まれる要素ではあるとは思うんですよね。

もちろん柴田も若手時代から得意にしていた打撃を活かした「バチバチ系」の試合で評価を上げもしたんですが、このNEVERにおいてまず行ったのが第三世代との「一人世代闘争」であり、当時ジュニアタッグとして参戦していたreDragonとの「無差別級」試合であります。
後者に関してはこの後、RPWのブリティッシュヘビー級を獲得した際も当時は純ジュニアヘビーだったオスプレイと試合を行うなどその路線を継承。
これらの「世代闘争」や「無差別級」といったワード、プロレスオタク界隈ではかなり人気・支持度の高い要素である一方新日本では中々本流に取り上げられない要素。
その是非はさておきとして、そういった本来であれば”傍流”とも言える路線に乗り込み、それを十二分に魅せることができたのがこの期間の柴田であったかな、と。

こうして挙げたように、2013年当時はどちらもまだまだ新日本における「異端」もしくは「多様性の一旦」でしかなかったわけですが、
その後の4年間でオカダはその本流へ身を投じ、柴田は傍流へ身を投じ、己の存在感と路線を確立したわけです。
二人は新日本で流れていた二つの流れの代表であり、言い方を変えれば新日本を支える日本の柱であり、それは同時に立派な対立軸になっていたとも言えます。
つまりはこの4年間をもってこの両者が対戦する機運が醸成されていた、と。

2017年4月9日

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柴田、散る (2017.4.9)

そして対決に至った2017年4月9日。
言ってみれば2012年から5年間をかけてブシロード新日本プロレスが着々と準備してきた結果、集大成がここにあった、と言えるかもしれません。
上述したように、挑戦が決まってから構築された対立構造ではない、それまでの数年間を賭けて構築された対立構造、いやむしろ”対立概念”だったからこそ、識者によれば「磁場が狂った」空間だった可能性はあります。
現地で見ていなかったのは今になっても悔やまれるところですが、試合前から嫌な緊張感がタイムライン上にもあった覚えがあります。
だってまぁそれぞれに数年間応援してきたファンがいるわけで、しかもその信奉する方向性は全く違うわけで、決して相容れることのないからこそそれが一緒くたにされた会場は異様な雰囲気になりますわな。

試合についてはもうあんまり語ることはないので「見て(新日本プロレスワールド)」って感じなんですけど、
試合前の、NJC優勝からの挑戦という勢いもあっての柴田押せ押せムード、に安易に乗っからずに試合を始めたのは良かったなぁと思いだしたりもします。
プロレスラーは観客を扇動するもんですけど観客に扇動させられちゃったらやっぱ興が醒めちゃう部分が私あるので。

試合結果はレインメーカーでオカダの勝利。
そして試合後には柴田は救急搬送され、緊急手術し一命をとりとめるものの現在に至るまで長期欠場をしています。

物語は続いている

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物語はまだ続いている (2019.3.24)

冒頭に紹介したPodcastでは、まぁ時間の関係もあって2017年4月の一戦で終了しあとは柴田について今後の展望を・・・だったんですけど、こと「オカダと柴田の物語」という観点だとそこで終わってはいかんと思うわけです。
柴田の負傷欠場を経て、一夜明け会見で涙を見せたオカダ、そして次の防衛戦後に柴田を意識した「プロレスラーは超人です」というエールを送ったオカダ、本人の気持ちはわからないですけど何か重いものを腹に抱え込んでいた時期があったのは確かで。
そして2019年3月24日のNJC優勝時、解説についていた柴田の前でニッと笑った瞬間に、そしてオカダのコメントを聞いた後に「俺は生きているから泣くな」と柴田が言ってみせた時にその重荷が、消えることはないんでしょうけど軽くなったんではないかと思ったり。
あのシーンがあったからこそ、今の明るく楽しいオカダができているということも考えると、この時もまだこの両者の間に物語が相互作用があったのは確かなようで。

あのシーンが「オカダ・カズチカと柴田勝頼の物語」のエピローグなのか幕間なのかは、わからないですし徒にそこを予想するのも失礼な話だとは思うんですけど、
それでも「生きているから」この両者の物語はまだ続いているはずで、いつかこの記事に追記ができることを願ってやみません。

 

所感雑感

というわけでインスパイアド記事でした。
オカダ対柴田、というと「NJC勝ってから・・・」の話からつなげて書きがちだなぁと思ったんですけど、それを踏まえなくてもオカダと柴田は闘う運命にあったんだなぁと思ったりした次第です。
冒頭に紹介したPodcastはそれこそ「柴田勝頼ファン(達)による柴田勝頼史観」という部分はあって、それはそれで興味深いんですけど
そういう他人の解釈を見ると自分の解釈もしてみたくなって(需要はさておき)、結果的に「オカダカズチカファンからみる柴田勝頼史観」を書きたくなったっちゅうのもあります。
まぁその中で「柴田は傍流」って書くと諸兄に怒られそうだなとは思うんですけど、まぁそこは視点が異なってるとかそういうことで許してほしい(逆に言えば柴田が本流オカダが傍流でも上述の話は通じうるのであくまで視点の違いなのだ)。

まぁなんかあの試合のこと振り返るとしんみりしちゃうのは仕方ない感じはするんですけど、あんまりしんみりしっぱなしもどうかなと思ったのもあります。
まぁ柴田側に立ってた人かオカダ側に立ってた人かでしっぱなしかそうじゃないかが違うだけとも思いますけど。
まぁいずれにしたって柴田は未だに語りがいのある男ってことです。

きょうはこれまで、それでは