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「年4回以上」で振り返る新日本のリマッチ・抗争

Royal Questの結果も漏れ聞こえる中配信もいつだろうか、と待っている昨今でしたけどそれに先んじて次期シリーズDestructionとその次の秋の両国King of Pro-Wrestlingの一部カードが発表されましたね。

いずれもG1及びRoyal Questの結果・因縁から組まれたカードなんですけど一部で話題?になっているのは「何となく既視感があるような・・・」という話。
既視感も何も両国大会に組まれたIWGPヘビー級オカダ対SANADAは今年4度目、別府大会のメインとなったブリティッシュヘビー級戦、棚橋対ザックはなんと今年5回目(!)とあってまぁそりゃ既視感もあるわね、特に後者はそれこそRoyalQuestで対戦があったとこだし。

まぁその如何・是非?については特に興味ないので各個人に委ねるとして、
ふと「1年間に複数回再戦がある組み合わせってそうないんでは?」とも思ったので振り返りです。

今回は自分の持っているデータから2012年から2018年までの間に行われた新日本のリング上の対戦で1年の間に4回以上対戦があった抗争についてまとめています(年をまたいだ抗争は除外)。

 

2013年

棚橋vsオカダ

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2013年を通して戦いっぱなしだった (2013.1.4)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

対戦:1.44.78.1010.14

上述のようなリマッチの話で真っ先に私が思い出すのは2013年の棚橋オカダ抗争。
東京ドームから始まり、4月の両国、G1の両国、そして10月の両国と全試合が東京都内で組まれた当たり流石に会場観戦の人も「また?」となったんでは。
ちょうど私も新日本プロレスを見始めたタイミングでしたが9月神戸でのオカダ対小島のIWGP戦後、外道が「逸材(棚橋)が来るぞ!」と煽った時に「えぇ~?」となった覚えがあります。

それはさておき抗争としてはIWGPヘビー級を巡ったもので、1.4では棚橋が防衛、4.7ではオカダが奪取し、8.10のG1は引き分けに終わり、その結果をもって10.14で再戦するもののオカダが防衛に成功するといったものでした。
一応ですがこの各対戦の間には別挑戦者との防衛戦が組まれ(2月の棚橋対アンダーソン、6月にオカダ対鈴木みのる、9月にオカダ対小島など)、直接の再戦がないように調整されていたのも覚えています

棚橋vsデヴィット

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BCデヴィットの最初の標的となった棚橋 (2013.6.22)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

対戦:3.36.228.49.29

棚橋にとってはオカダとの抗争の間を縫う形で行われていたのがプリンス・デヴィットとの抗争。
この時デヴィットはバレットクラブを作り上げ、その最初のターゲットとして棚橋に選んだ形でした。
この抗争の特徴としてはベルトを介さない抗争で、バレットクラブ結成後の6.22においてデヴィットはバレットクラブの総力を挙げて棚橋を倒してみせ、
その後G1での対戦を挟んだ9.29において決着戦と銘打ったランバージャックデスマッチで棚橋がついにリベンジを果たす、という抗争でした。
こうして簡単に思い出しても割と最終戦のランバージャックデスマッチは本隊対バレットクラブの総力戦という趣もあって評価が高かった印象があります。

矢野みのる

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まさに泥沼の抗争だった (2013.4.7)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

対戦:3.174.78.119.2910.14

同じくベルトを介さない抗争ながら記憶に深く”泥沼”の印象が残っているのが矢野と鈴木みのるの抗争。
確かきっかけはNJCで優勝を目指したものの矢野によって足をすくわれたみのるが4月の両国でリベンジを果たす。
その後みのるはオカダとのIWGP戦に進むなどしたんですが、その後G1で再び矢野によって足をすくわれる結果に・・・
いずれもみのるが勝つまで毎月のように対戦が組まれていたのでそりゃ「なんかいっつも組まれてるな・・・」と思うのも仕方あるまい。

本間vs飯塚

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本間朋晃、試練の四連戦、的な (2013.9.23)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

対戦:9.89.169.239.27

上記3つの抗争と違い、申し訳ないんですけど全く覚えていなかった抗争?が本間対飯塚。
覚えていないのも道理で全4戦が9月のDestructionシリーズ中の地方大会に組まれているという。
本間朋晃試練の飯塚4番勝負、的な・・・?

2014年

中邑vs棚橋

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2014年は中邑フィーバーの年ともいえる (2014.8.3)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

対戦:1.42.94.68.3

2000年代後半の新日本暗黒期の立役者と言ってもいい棚橋と中邑、かつてのタッグパートナーとあって2011年ごとまでは結構頻繁に対戦があったんですが、2011年以降たいせんが途絶え、2014年1.4の対戦が2年半ぶりだかで話題になったのを覚えています。
それまで溜めたものが一気に飛び出たようにその後怒涛の3連戦が組まれました(この年の3月旗揚げ記念日はNJCの開幕戦だった)。
しかもこの年のNJCから優勝者は挑戦するベルトを選べるとのことで、1.4で棚橋からベルトを奪われ、2.9でのリマッチに敗れた中邑は優勝した暁には数年ぶりになるIWGPヘビー級へ挑戦するのではという見方もあったんですが、そこであえてのICリ・リマッチという驚きがあった気がします。

中邑vsファレ

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トンガ版ゴジラvsイヤァオトラセブン (2014.6.23)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

対戦:3.236.218.89.21

上述のようにICに拘りにこだわった中邑、そのこだわりをより一層印象付けたのがファレとの抗争。
両者の初対戦はNJCの決勝での大流血戦があったんですが、そこでの大苦戦を踏まえてついにベルトに挑んできたのがファレ。
上述のとおり棚橋との一連の抗争を経ただけに中邑有利な空気のある中でまさかのバッドラック・ファレの勝利、しかもコーナー上からのボディプレス、フォーリングココナッツでの勝利はインパクト抜群でしたね。
その後G1最終公式戦での勝利をもって再度の挑戦に漕ぎつけて、拘りのICを奪還したそんな抗争でした。

2015年

石井vs真壁

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「NEVER=バチバチ」の印象をつけた抗争かも知れない (2014.1.4)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

対戦:1.44.297.510.12

2013年の棚橋オカダと同じく1年間通じて抗争となったのが石井対真壁、この抗争もあってかNEVER=バチバチ、ゴツゴツの試合という印象が強まったような気はします。
この両者の対戦は実はこの年のG1で実現せず、いずれもNEVERのタイトルマッチで実現しているんですがちょっと変わった抗争になっていて、
1.4でNEVERを戴冠した真壁、次の挑戦者はパートナーの本間となっていたんですがなんと真壁がインフルエンザにかかってしまい王座を返上、急遽石井と本間でタイトルが争われることになり、石井が再度戴冠。
その後4.29で再度真壁が奪還したものの、次の防衛戦も元王者の石井との対戦。
それを乗り越えて、飯伏とのタイトルマッチを行った真壁でしたが再度立ちふさがった石井が真壁から奪取・・・という、ちょっとどういう話の流れだったのか思い出しがたいことになってます。

後藤vs中邑

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IWGP二冠構想も生まれた抗争 (2015.9.27)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

対戦:5.37.58.49.27

この抗争も一体発端は何だったんだ・・・と思って少し調べてみると、この直前となるNJCにおいて後藤さんは惜しくも優勝を逃し、ノーテーマで4月両国への地方大会に参戦していました。
そこで対戦する機会が多かったのがIC王者中邑。
NJC優勝者だった飯伏がIWGPヘビー級を選んだことによって他のシングル王者もノーテーマになっていたんですが、そこでテーマを求める者同士で近づきあったという感じもあります。
その時に出てきた中邑の挑発ワードが「透明人間」「殿」っていう奴ですね、なんだかソッチのワードの方が記憶に残ってたりするんだよなぁ・・・

いずれにしろ中邑からちょっかいをかけたものの、いざ組まれたどんたくでの一戦で後藤がICを奪還、翌8月の大阪でのリマッチも後藤が防衛。
これを踏まえて後藤さんが出してきたのが「IWGPヘビーとICの統一」というワード、最初かどうかはさておき大きく議論になったのはこのタイミングが最初なんではなかろうか。
しかしその後G1で中邑に負けたために神戸で再戦となり、陥落。
IWGP二冠構想も夢と消えたわけです。

2016年

KUSHIDAvsBUSHI

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何気に因縁深い両者 (2016.11.5)

(新日本プロレス公式サイトより引用)

対戦:2.146.69.1711.5

割と最近の抗争ではあるもののすっかり忘れていたんですが2016年にはこの両者の抗争がありましたね。
2016年というと前年末に結成されたLIJがブレイクした年と記憶されてますが、内藤とEVILの二名だけだったグループにBUSHIが加わったことで正式にLos Ingobernables de Japonと名前がついたのだと記憶しています。
とはいえ当時のBUSHIは長期欠場中、その年12月にようやく復帰を果たしたわけですがその直後からマスカラ・ドラダの持っていたCMLL世界ウェルター級を獲得するなど勢いを感じさせました(なお翌年ファンタスティカマニアで陥落)

で、その勢いを駆ってKUSHIDAのIWGPジュニアに挑戦するものの弾き返されたのが最初の対戦。
その後のBOSJで借りを返すと、9月に行われた大田区大会、久しぶりのIWGPジュニアがメインに据えられたビッグマッチでベルトを奪取し、自身としては初のIWGPジュニア獲得を果たしました。
しかし11月のリマッチで敗れ、防衛数0で初王座は幕を閉じることに。
(ちなみにKUSHIDA BUSHIの抗争というと「てめぇ調子に乗ってんじゃねぇぞ!」のマイクを思い出したんですけどあれは2017年のことなのだ)

 

所感雑感

というわけで簡単にですが2012年~2016年の4回以上行われたリマッチについてでした。
ちなみに2017,2018年には該当する対戦は見つかりませんでした、意外。
いずれにしろ2012年から数えて7年間で9つ、これが”も”なのか”しか”なのかはわかりませんけどここ数年なかったものが久々に二つも、という見方もできますね。

それはさておき、上に挙げた抗争の中でタイトル絡みの抗争はいずれも「タイトルが奪われて奪い返す」という展開を経て長期化しているわけですが、今回のオカダSANADAはいずれもSANADAによるタイトル奪還が起きずにここまで長期化しているのでちょっと特殊な感じがあります。

きょうはこれまで、それでは