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7つの数字で振り返る新日本プロレスでのマイケル・エルガン

先日のエイプリルフールのバカ騒ぎから一晩明けた先に待っていたのは、それこそ「嘘だろ?」って感じのニュースでした。

新日本にはなかなかいなかった圧巻のパワーファイトで会場を沸かせていたマイケル・エルガン選手の退団。
つい先月膝の手術後の欠場が明け、NEW JAPAN CUPの1回戦でオカダとの激闘を繰り広げ「エルガンここにあり」を見せつけたところだっただけにまさしく青天の霹靂でした。

自分は胸を張って「エルガンのファンだ」と言えるほどのめりこんでいたわけではありませんが、外国人選手としては珍しい「所属選手」として新日本を支えてくれたエルガン選手を思って、今回は彼に関係する7つの数字を挙げ、別れの言葉の代わりにしたいと思います。

 

180・111

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その肉体はまさに人間凶器だった
(新日本プロレスワールドより引用)

マイケル・エルガンは身長180㎝と北米のプロレス界においてはそこまで恵まれた体格ではないものの、その限られた骨格に積載限界まで筋肉を搭載した結果、実に111㎏の体重を誇る純然たるヘビー級選手。
ちなみに結構頻繁に対戦待望論が出る大日本プロレスの”マッスルモンスター”こと関本大介選手は175㎝120㎏なので体格も同じぐらい、是非とも並び立つ姿が見たいもの。

ちなみに新日本の参戦期に限ってもその体躯は結構変化が見えて、参戦以降見る見る間に、それまででも十分でかかったのにさらに体が大きくなっていく様はある種の恐怖だったが
2018年に入ると一念発起したのかぎゅっと身体をシェイプし、カッコよくなると同時に殺傷性が増したような印象だった[要出典]

59/306

エルガンの新日本プロレスでの全試合数は306試合、その内シングルマッチは全59試合でした。

1123

そして2016年3月3日から2019年3月31日まで、マイケル・エルガン選手の所属日数は1123日間となりました。

3

(新日本プロレス公式サイトより引用)

そんなエルガンと新日本の初遭遇になったのは2014年のこと。
エルガンは2007年からROHと契約参戦しており、新日本がこの年開催した合同興行にて当時AJスタイルズが保持していたIWGPヘビー級に挑戦。
たしか元々はシングルマッチだったんですが大会当日になってオカダさんが挑戦表明をして3WAYに変更になったんですよね(対戦相手だったセドリック・アレキサンダーが負傷したため)
ROHのファンの前で行われるIWGP選手権、しかもTNAの大スターAJスタイルズと前IWGP王者のオカダに挟まれる形での試合とあってなんとなく損な役回りになっちゃいましたけど、それでもオカダやAJを千切っては投げ千切っては投げの八面六臂のパワーファイトはこのころから健在でした。
今になって思えばこの試合がオカダと初遭遇、その後新日本のリングで最初の相手もオカダ、そして最後のシングルの相手もオカダだったんですねぇエルガン。

25

(新日本プロレス公式サイトより引用)

その際の奮戦ぶりが新日本のフロントの目に留まったのかは定かではありませんが、その1年後にG1 CLIMAX25へのエントリーが発表され、これが新日本プロレスへの初参戦の舞台になります。
これまでも新日本プロレスにおいては力自慢のレスラーは数多くいましたが、エルガンの特異性はスピード、ジャンプ力を備え、さらには数多くの技をコピー使いこなす技術も持っていることでした。
初参戦となったG1では勝ち星こそ恵まれなかった(というか新日本で通じてそんなに勝ちまくった印象はないけど)ですけどそのド派手なファイトに一気に魅入られたファンも多かったのでは。

2016

(新日本プロレス公式サイトより引用)

その見た目の丸っこさもあって#エルガンかわいい、なんてタグもできるほどの人気を博したエルガンは2016年の大量離脱があった際には所属選手としての契約をリング上でかわします。
数多くの外国人選手が参戦している新日本ですけど、こうしてきちんと所属契約を交わした(と報告される)外国人選手ってそんなにいないんですよね(それこそケニーの時に入団記者会見があったぐらい?)
こうした経緯があったからこそ、冒頭のツイートのように契約満了についても一報があったのだとは思います。
ちなみに同タイミングでそれまでフリー参戦していた柴田勝頼も所属契約をリング上で結んでいます。

3

新日本プロレス所属となったエルガンは本隊の一員として、そしてシングルプレイヤーとして活躍を強めます。
その中で獲得した新日本のタイトルは3つありました。

2016.4.10 第5代NEVER6人タッグ王者

(新日本プロレス公式サイトより引用)

最初のベルト獲得となったのは数多くのチームが王者になっているNEVER6人タッグ。
試合は首の負傷から復帰したヨシタツに花を添えるような形ではありましたが、ケニー&ヤングバックスのtheELITEからの奪取、しかも両国国技館のリング上でということで華やかな戴冠劇でしたね。
ちなみにここでの勝利が後のケニーの持つIC王座への挑戦にもつながってきます。

2016.6.19 第14代IWGP IC王者

(新日本プロレス公式サイトより引用)

試合映像

自分で「エルガンの新日本でのベストバウトは?」と考えた際に出てくるのはこの試合でした。
上述のNEVER6人タッグ奪還時の因縁からケニーのICに挑んだエルガンでしたが、その最初の挑戦はケニーとのハードコア戦の末惜しくも敗れてしまいます。
その後のケニーの防衛戦は棚橋と・・・だったんですが棚橋は腕の負傷で欠場、その代打として再びの挑戦になったのがエルガンだったのです。
期間をあけずのしかも代打挑戦、しかもその大会のメインは満を持して組まれた内藤対オカダのIWGP戦、ということで戦前の期待値はけして高くはなかったように思います。
しかし、いやだからこそ試合は激しく燃え上がったわけです。
期待がないからこそ「見返してやろうぜ」「目にモノを見せてやろうぜ」「好きにやっちまおうぜ」をケニーとエルガン、ともにカナダに生まれ日本にやってきた同士でまるで競うい合うような激しい試合を展開。
結果としてメインを差し置いて、カクトウログなどのファン投票でベストバウトを獲得し、エルガンにとっても新日本において代表的な”作品”ともいえる試合になったわけです。

2018.6.9 第18代NEVER無差別級王者

(新日本プロレス公式サイトより引用)

試合映像

その後、エルガンはベルトをかけて戦うはずだった内藤との前哨戦で目を負傷して欠場、ベルトも手放すことになるなど不運があり、さらには大阪城でベルトを争ったケニーの台頭も重なったことでその影を薄めることに。
ある意味その再起を狙って2018年に挑んだのがNEVER無差別級。
この時のエルガンの決意のほどは、試合前にガウンを脱いだだけで会場がどよめきに包まれたほどビルドアップされたその肉体にも表れていました。
試合は、3WAYという試合形式に対して否定的な風潮がある新日本においても、「今までで一番面白い」という評価が出るほどの激戦になり、エルガンも2年ぶりのシングル王座を戴冠。

こうして3つの王座を獲得するもいずれも長期防衛とはならず、6人タッグとNEVER無差別級は防衛0回、ICはアメリカでの試合で1度の防衛に成功したのみ。
とはいえベルトを獲得する際に見せたエルガンの爆発力の途轍もなさは上記の試合を見るだけでもわかるでしょう。

 

所感雑感

というわけでエルガンに関する7つの数字でした。
Twitterでもつぶやいたんですけど、思えばエルガンは大量離脱に揺れた新日本であえて「残る」選択をしてくれた男であり、それに応えるように新日本もドキュメンタリー映像を作ってその魅力を伝えようとした、そんな仲だったわけです。
勿論その後人も会社も環境も変化があったわけですけど、それでも彼が見せた肉体、技、生き様は紛れもない真実で、それをこうして残すことは無意味なことではないと思って、この記事を書いています。
この記事が彼が新日本で生きた証になることと、彼の今後の人生の幸いを祈りつつ、この記事を締めさせていただきます。

きょうはこれまで、それでは