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壮行試合と凱旋帰国で振り返るヒールターン(オカダ~ジェイ)

先日のPower Struggleの結果を受けて東京ドームのタイトルマッチも多々決まり、それを踏まえたWorld Tag Leagueの参戦チームも決まりました。
その記者会見での出来事

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棚橋「凱旋帰国した選手に甘い傾向があると思います。(中略)1回この流れを止めてもいいなと思いますね。

棚橋は先日のメインイベント後の”スイッチブレード”ジェイ・ホワイトの乱入に対してお怒りの模様。
確かにオカダ以降凱旋帰国→数試合のうちにタイトル挑戦と言う流れがすっかり定着した昨今ですが、紛れもなくその”パターン”を作ったのは2012年の棚橋自身と言うこともあり、責任もまた感じている模様。
ちなみに他のメディア(どれかはど忘れした)では所謂「帰ってきたらスターの道が開けている」と言う昨今の現状について「そっちの方が良いに決まっている」と言うような発言もありましたが、今や若手を跳ね返す”新日本の壁”として立場を確立させつつある棚橋とあって主張も変えてきたようですね。
これを踏まえてドームでは飯伏戦と同じく「厳しい棚橋」が見れるとは思いますが、それを前に昨今の「凱旋帰国パターン」に加えてその前の「壮行試合」も振り返ってみたいと思います。

如何せん途中で公式HPの引越しなどもあって昔の記事が見つかりにくかったりするので、パターンが確立されたオカダから今回のジェイまで9人についてまとめです

 

岡田かずちか(2010.1.31) → オカダ・カズチカ(2012.1.4)

パターンの先駆けとなったオカダ、いや岡田かずちかの壮行試合は2010年1月31日のディファ有明大会、当時エースとしての立場を確固たるものにしていた棚橋とのシングルマッチという異例の待遇からも「未来のエース候補」としての会社からの期待が窺えます
ちなみに新日本プロレスワールドができるまで公式でYouTubeにアップしていたNJPW GREATEST MOMENTSシリーズにその壮行試合が選ばれており今も見ることができます。(試合結果)

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試合開始前からロープにもたれかかって棚橋の入場を邪魔する様子など、今でも時々窺える生意気具合がこの頃から見て取れます。
この頃は勿論ヤングライオンの正装である黒いショートタイツ姿でニーパットに膝下までの長いリングシューズは今のコスチュームにも通ずる出で立ちですね。

この後、「化け物になって帰ってくる、プロレス界を変える」ことを誓ってTNAへの無期限遠征へ出発するも翌年1.4ドーム大会で一時帰国し、その年のプロレス大賞MVPの杉浦、帝王高山と対戦することに

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遠征前はひょろっとした印象だったのを肉をつけ、あごひげを蓄えることでイメージを一新してきました。
コスチュームは所謂たっつけ袴に腰布、袴には古銭の模様が書かれているなどパートナーの後藤さんのニックネーム”荒武者”に合わせた和風のコスチュームでした。
試合としてはノアの二人にやられにやられ、最後も高山にピンフォールを奪われる結果となり、実力不足を痛感した岡田は再遠征することになります(試合結果)。

吉橋伸雄(2010.6.13) → YOSHI-HASHI(2012.1.4)

同期の岡田に遅れること5ヶ月、最初で最後のBOSJ参戦を終え、その最終戦でメキシコへの無期限海外遠征を宣言します。
ちなみにこの日タッグを組んだライガーもメキシコへの短期参戦のため同行する形に。
相手には今NXTに所属するラ・ソンブラもいたんですね。

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その後CMLLで経験を積み、ルーシュに負けて丸坊主になったりしつつ、ついに2012年のドーム大会で帰国することになりますがなんとその試合がダブル凱旋試合になりました。
ちなみに下のインタビューでオカダが眉まで帽子で隠してるのは眉まで金に染めてしまってエライ人相になってるせいなのでは・・・

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ともかく1.4でW凱旋帰国試合としてオカダとYOSHI-HASHIが対戦し、結果初期型レインメーカーでオカダが勝利することになります。
オカダは髪を金髪に染め上げ、トランクスタイプのタイツにニーパット、膝下のリングシューズに加えてロングガウンにジャラジャラと首からネックレスを下げる今も続くスタイルができています、眉まで染めているのと髪が多少長いのが違うぐらいでしょうか。
YOSHI-HASHIはヘビー級に移行するべく体重を増やし、たっつけ袴風のタイツに孫悟空風の如意棒と袖なしガウンを装備。
当初YOSHI-HASHIはCHAOS、オカダは一匹狼で・・・ということだったが試合後に外道がスカウトする形でどちらもCHAOSに所属するという異例の展開。
結果としてどちらもヒールターンしてしまいました。

 その後としてはご存知のようにオカダは翌ビッグマッチでIWGPを戴冠し、中心選手として成長していくことになります。
一方でYOSHI-HASHIはその煽りを受けてか、しばらく鳴かず飛ばずでようやくNEVER王座に挑戦したのも凱旋から2年後、そして凱旋から5年経った今現在もベルト戴冠はできていません。

キング・ファレ(2012.2.10) → バッドラック・ファレ(2013.4.7)

トンガ王国で11人兄弟の8番目として生まれたファレ・シミタイトコは移住したニュージーランドでラグビーに目覚め大学進学・日本への留学も果たし、大学卒業後実業団チームに所属したりもするものの、後に新日本に入門し、プロレス転向。
2009年にデビューしてすぐに永田さん率いる青義軍に加入して経験を積み、2012年には師匠である永田さんとの一騎打ちを経て海外遠征に旅たちます。
この時から既にいかつい容貌と刺青をしているものの、コスチュームは青義軍のブルーを貴重にしたシンプルなものですね。

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その後、2013年にプリンス・デヴィットがヒールターンを果たした際に突如乱入し、デヴィットの”バウンサー(用心棒)”として紹介され、まだ名前はないもののBULLET CLUBでヒールとして活動開始。
その翌どんたくシリーズで凱旋帰国試合を行いますが、デヴィットを肩車して入退場する姿はそのサイズ感の違いもあってなかなか強烈な印象を与えました。
ちなみにこの時から上にはタンクトップまたはTシャツなど、そしてスラックスを履いて試合し、入場時はサングラスをかけ、リング下にたたずんでいる姿が不気味。
その後としてはデヴィットの用心棒として付き従いつつも、1年後には中邑の持つIC王座に挑戦し、初戴冠を果たしています。
その他にもNJCやG1で棚橋、中邑、オカダなどトップ選手を倒す、大物食いを数々成し遂げる所謂”強キャラ”として活躍しています。

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三上恭佑(2012.1.4) → エル・デスペラード(2014.1.4)

三上恭佑は26歳での入門に加え1年近くの練習生期間、さらにデビューも金本選手の欠場の穴埋めにより急遽決まったものとあってデビューするまでに既に苦労人。
さらに今回まとめた中でも唯一遠征前最後の試合が「壮行試合」と銘打たれているわけでも無期限遠征を発表するマイクがあったわけでもなく、そしてさらにはコメントを残すこともなく遠征へと向かいました。
しかもドームの第0試合で会場も全然観客がいないという・・・しかも相手はキャプテンという。
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何はともあれ、その後CMLLへ遠征しマスクマン”ナマハゲ”として活動を開始し、OKUMURAとアレナコリセオタッグを獲得するなど活躍しました。
そして2014年1.4において謎のマスクマン、エル・デスペラードの登場が告知され、実際にドームでのIWGPジュニア戦後にギターケースを携えて登場し、勝利した飯伏に黒い花束を差し出してアピールするというミステリアスっぷり、一体誰なんだ・・・

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その後Fantastica Maniaで凱旋試合をし、同じマスクマンであるBUSHIを頭からまっさかさまに落とすギターラ・デ・アンヘルで仕留め、IWGPジュニア戦へアピールしました。
白もしくは黒を基調にしたパンタロン風のコスチュームに長髪をなびかせているように見える紐飾りのついたマスク、当初は目の部分はライガーと同じくメッシュになっていました。
ちなみに振り返った中だと唯一のマスクマン、そして唯一の本隊への凱旋でした、まぁその後鈴木軍に入りヒールターンすることになりますが。
IWGPJrへは凱旋時の飯伏戦と田口戦、そして今年のKUSHIDA戦と3度挑戦したもののいずれも失敗、2015年にはライガーのNWAJrに挑戦もしています。
日本でのベルト初戴冠はNOAH参戦時のGHCJrタッグで、デビューから1年と2ヶ月でした。

渡辺高章(2013.10.14) → EVIL(2015.10.21)

 アニマル浜口ジム出身の渡辺は身長こそ178cmと大きくはないもののヤングライオン時代からがっちりとした体格でヘビー級への転進が予想される選手でした。
そんな渡辺の壮行試合は欠場明けの天山選手の復帰試合も兼ねたもので、なんと当時NWAタッグを持っていた強豪タッグKESと対戦することに。
ヤングライオン+復帰明けになんてことを・・・てなもんですが気持ちでは負けず、大剛式バックドロップを決めるなど奮戦するものの敗退し、さらに強くなることを誓って当時提携していたNWAやROHに参戦し、経験を積みます。

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そんな渡辺が帰ってきたのは2015年の10月、内藤が予告していた”パレハ(相棒)”としての帰国でした。
しかし、全日本に所属していた潮崎選手がフリーになったり大会前に内藤がメキシコ遠征をしてラ・ソンブラやカマイタチと接触していた関係で「それらの選手がパレハなのでは?!」と盛り上がっていただけにその姿を現したときは「・・・誰?」という感じだったのは否めない。
しかも、遠征前は黒い短髪だったのに加えこの直前にROHで活動していた際は”プレミアム”な男というキャッチフレーズで活動しており、それもあってサイドを刈り上げ、長髪を金に染め上げ、目の下には深いクマを作った姿はあのナベちゃんと同一人物とは思えなかったのもあるでしょう。

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翌シリーズではこの乱入の際に因縁が生まれた後藤との一騎打ちで凱旋試合が組まれましたが、上記のような容貌に新日本では久々の釣りパンスタイル、入場時には不気味なローブと大鎌という異様な出で立ちで入場してきました。
試合は内藤の介入によって反則負けとなりましたが、2人ロスインゴベルナブレスとしての活動がこうして開始したわけです。
その後は翌2016年に柴田からNEVER王座を奪取し、今年にはIWGP王座に初挑戦と着実にシングルプレーヤーとしてステップアップしています。

高橋広夢(2013.6.9) → 高橋ヒロム(2016.11.5)

高橋はデビュー前から男色ディーノのキスの犠牲になるなどありつつ、2010年にデビュー。
一見してかなりポチャッとしてはいましたがそれに見合わないキレの良いウラカンラナが印象的で、遠征の前から自分のアピールでBOSJへの出場権を勝ち取って2年続けて出場していたりもします、その辺りの自己アピールの強さはヤングライオンの時からあったということでしょうか。
その2度目のBOSJの最終戦において無期限遠征を宣言し、また「ゴールデンタイムで試合をする」という大胆不敵とも取れるコメントを残し、まず初めにイギリスそしてCMLLへと遠征をします。

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その後、CMLLにてドラゴン・リーという好敵手にめぐり合ったことで高橋ヒロムことカマイタチはメキシコで一気にスターダムへとのし上がり、その評判は日本にも届きます。
そしてその反響を受けてか2016年のFantastica Maniaに急遽参戦し、ライバル・ドラゴンリーとまさにベストバウト級の大熱戦を繰り広げます。
この時にはカベジェラ戦で負けて丸坊主になった直後ではありましたが、逆に荒々しさと精悍さを引き立てて似合ってた様な気もします。
この頃には赤を基調としたコスチュームにファーのついたロングタイツというスタイルも構築済みでした。

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その後、今度はアメリカROHなどで活動をし、そこでも命知らずのファイトで評判を高めると同年11月の大阪に”TIME BOMB”高橋ヒロムとして帰国を果たします。
通常であれば凱旋試合はドームで、となるところをあえてWTL最終戦に登場してLIJへの加入を表明、そしてドームシリーズで私服のまま前哨戦をこなしてその実力を見せ付けたところは、持ち前の自己アピール力と絶対的な自信の現れでしょうか。
試合コスチューム自体は、よりアーティスティックになった以外は同じものの、髪が長髪の手前程度まで伸びたことと、同じデザインのジャケットを羽織って入場することでカマイタチ時代とはまた違った印象になっています。
その後は一発でIWGPJrを戴冠し、ベルトを失っても話題を掻っ攫うようなアピールを連発し、わずか1年で新日本ジュニアの中心選手になった、といっても過言ではないでしょう。

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小松洋平・田中翔(2016.1.4) → YOH・SHO(2017.10.9)

所謂ヤングライオン不足時代をささえた小松・田中の通称こまったなコンビは3年近くの長いヤングライオン時代をすごしましたが、それが逆に露出の多さに繋がって、その鍛え上げられた肉体もあってヤングライオンらしからぬ人気をもつ二人でした。
そんな二人もジェイやフィンレーの外国人ヤングライオンに加え川人金光のデビューによってようやく海外遠征の機会に恵まれました。
最初はCMLLにおいて風神・雷神のタッグで活動し、その次にはROHへ参戦しテンプラボーイズとして活動。
ちなみにこの時期になるとその情報だけでなく試合の映像なども新日本プロレスワールドで確認できるようになったので遠征前後の変化というのはわかりにくくなっているかもしれません。

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そして割と短めの遠征期間を終えて今年10月に六本木3KのYOH/SHOとして凱旋することになります。
コスチュームも「韓流スター」「Kinki Kids」風といわれる筋と銀のロングタイツと派手になりましたが、遠征前に身体自体は出来上がっていたこともあって見た目の印象はあまり変わりませんね。
遠征前にも「後はブラッシュアップするだけ」というようなコメントもあったのであまり変化が見えないというのは意図的かもしれません。
ちなみにそれぞれのコスチュームに入っているジッパーと雷のマークはそれぞれ風神・雷神時代のモチーフの名残でしょう。
その後としては凱旋試合でIWGPJrタッグを獲得、SJTTを優勝とジュニアタッグとしては順調すぎるほどに順調な一方でまだキャラクターに慣れきっていないという感じもあります。
ちなみにCHAOS所属なので一応ヒールターン?になるんですかね。

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ジェイ・ホワイト(2016.6.19) → ジェイ・ホワイト(2017.11.5)

ジェイはニュージーランド出身で2013年にイギリスでデビュー、その後2015年に新日本に入門して再デビュー。
ちなみに入門の際に丸坊主にしましたが、その後所謂モヒカンの部分だけを延ばし続けていました。
デビュー時23歳という若さながら、その長い手足と186cmの高身長に甘いマスク、そしてセンスを感じさせる試合運びから将来性が感じられ、当時のヤングライオンである小松田中ジェイフィンレーによるタッグマッチはヤングライオンながらかなりクオリティの高いものだった記憶があります。
その期待の大きさからか、LIONS GATEで丸藤選手とのシングルマッチが組まれ足りもしましたが、2016年に海外遠征を出発、主にROHで活躍をしました。
ROHでの活躍も映像が時折流れてきましたが、オールブラックスのシンボルマークでもあるシルバー・ファーンの葉をデザインしたショートタイツを履き、日に日に全身がたくましくなっていくのが帰国を楽しみにさせました。
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そしてつい先日、大阪大会において”Switchblade”として帰国し、試合後の棚橋を急襲し、ドームでのIC挑戦をアピールしました。
伸ばし続けていた髪は顔を覆うほどになった上に真っ黒に染め上げ、黒い革ジャンに黒いロングタイツと今のケニー・オメガと共通するような見た目だけにバレットクラブへの加入が予想されます。
これまで振り返ってきたように”ドームで””シングルマッチで”凱旋帰国はオカダ、YOSHI-HASHI以来となり、さらにいきなりタイトルマッチというのは近年では初になりますね(ヒロムもそれに近いといえば近いけど)

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まとめ・雑感

というわけで近年に限ってですが凱旋帰国についてまとめてみました。
まとめてみると全員がヒールターンというわけでもないですがいずれにしても凱旋した直後に本隊の選手が狙われるというのは恒例のようですね。
その中でもターゲットが棚橋になるのはオカダ以来、ということもあって棚橋も「岡田以降の流れを・・・」という言い方をしたのではないかと思います。
これを踏まえて果たしてジェイがこのままスター街道を突っ走るのか、棚橋がこの流れをストップさせるのか、1.4ドームを待ちたいと思います。